祈りにかえて

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『映画の言葉を聞く』読書ノート作りました

 ちわっす!つざきです!『 映画の言葉を聞く 早稲田大学「マスターズ・オブ・シネマ」講義録 』の読書ノートを作りました。9280文字ですこの文字数は多めの方。

 

映画の言葉を聞く 早稲田大学「マスターズ・オブ・シネマ」講義録

映画の言葉を聞く 早稲田大学「マスターズ・オブ・シネマ」講義録

  • 作者: 是枝裕和,安藤紘平,岡室美奈子,谷昌親,土田環,長谷正人,元村直樹,押井守,鈴木敏夫,古舘寛治,森達也,篠崎誠,山田キヌヲ,横浜聡子,李相日,真利子哲也,井上剛,杉野希妃,山崎貴,細田守,石井岳龍,荒木啓子,西川美和,瀬々敬久,片渕須直,柄本明,北野拓,奥田庸介,熊切和嘉,石井裕也,池松壮亮,古谷敏,世武裕子,イザベル・ユペール,井浦新,濱口竜介,瀧本幹也,土井裕泰,佐野亜裕美,橋本忍,山田洋次,大林宣彦
  • 出版社/メーカー: フィルムアート社
  • 発売日: 2018/03/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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 映画は見ないけど映画評論は好きという罪深い身です。この本は映画評論ではないですが、映画について・映画を作ることについての本なので面白い。

 

 日本のマスメディアにおいては、印象批評的な文章が映画評論として扱われている事がしばしば見受けられるが、実際、感想文や批判ではなく、映画をどう評論していくかはかなりの修練が必要とされる。基本は数多くの映画を注意深く鑑賞する事に始まるが、そこから先の方法論となると、多種多様である。「第七芸術」である映画は文芸評論や美学とも違い、映像、音声も含めた総合的な評論が必要だが、一面的な捉え方からの評論や流行している評論の流用、単なる批判で終わっていることがある。

(Wikipedia記事「映画評論」)

  一種の学問だよなあ……

 

 面白かった場所引用

  • そういう質問についていつも頭に浮かぶのは、近年、池澤夏樹さんが河出書房新社から出している世界文学全集です。彼の編んだ世界文学全集には一つの大きな特徴があった。なんたって原題は難民と移民の時代でしょう。自分の母国を離れて新しい国へ行かざるを得ない人たちがたくさんいて、そこで新しく言語を獲得した人が獲得した言葉で書いたもの、そこから面白いものを選んだ全集だったんです。ぼくはそれらを読んで「ああ、現代ってそうだよな」って、ものすごく納得した。(鈴木敏夫)
暗夜/戦争の悲しみ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-6)

暗夜/戦争の悲しみ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-6)

 

 

  • 以前『廃墟シネマ』(「NONFIX 廃墟シネマ」として二〇〇〇年八月五日フジテレビにて放送)という廃墟好きの方々を追ったテレビ番組の方を取材したんですね。その方は廃墟の写真を撮っている一方で、建造途中のビルや橋を撮ることにも強く惹かれていて写真にしている。「壊れていくものとつくられている途中のもの、どうしてその両方に興味をお持ちなんですか?」と質問しました。すると「壊れていくものとできあがっていくものは、その一瞬だけ撮ると同じように見えるから」と答えられていたことがすごく印象的でした。(瀬々敬久)
  • 生まれたばかりで名づけられていない赤ん坊と、次第に固有名詞で呼ばれなくなるお年寄りが、名前を持たないという点で廃墟に似ていると記されています。つまり、廃墟とは、何かの「後」ではあるが、「何かそのもの」ではない。したがって、人間は廃墟に似ている、と語られています。(土田環)
  • 死んだ人というのは、目を見開いても見えないよね。でも目を閉じると、そこにいるんですよ。人の死というのは、生きてる人たちがその人のことを忘れたときに、本当に訪れるんだと思う。(大林宣彦)

 

 あまり引用だけをぽんぽん載せたら怒られちゃうのでこのくらいに。

 印象に残ったのは、『この世界の片隅に』片渕監督の「表現の固定観念にとらわれないことの重要さ」でした。漫画『この世界の片隅に』最後の方のリンの過去が口紅で描かれたようになっているシーン、あれはマジで口紅で描かれているらしくて、そのような自由さが重要であると。『この世界の片隅に』は本当に表現方法が素晴らしいと思いますね。

 

 

 あとは自分の映画はあくまで芸術の前に娯楽であるという捉え方の監督や、あくまで芸術を目指しているという監督がいたりしたのが印象的でした。

 

 「目を閉じるとそこにいるんですよ」はOn my Beautiful Gardenの1P目を描いた気持ちにばっちり嵌りますね。

 

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 「くろしお」(初代)の貸与された理由は、米哨戒機の対潜水艦訓練目標としての役割を海上自衛隊に行ってもらおうという意図があったから、というのもひとつらしくて、これは『凌ぐ波濤』に出てきます。というか『凌ぐ波濤』以外に見たことない。そんなわけで『凌ぐ波濤』の参考文献を見まわすんですけど、まぁ出るわ出るわ「非売品」の文字。

 

よみがえる日本海軍〈上〉―海上自衛隊の創設・現状・問題点 (1972年)

よみがえる日本海軍〈上〉―海上自衛隊の創設・現状・問題点 (1972年)

 
自衛隊十年史 (1961年)

自衛隊十年史 (1961年)

 
霧笛鳴りやまず―橙青回想録 (1984年)

霧笛鳴りやまず―橙青回想録 (1984年)

 

 

 ここらへんは参考文献の中でもまだ手に入る?とおもいます。書影がやべぇな!

 長編小説『ぼくの小さな神さま』はミンゴ貸与から始まる予定なのですが、そのミンゴ貸与の資料、あるいはその時代の資料や私自身の知識が手薄すぎて一話が一番書きにくいです。進まない……

 

 五年とか言ってたら終わらないことに気付きました。2020年に完成させたいなぁ。

コミティアの例のアレ

2018年3月4日のツイログから(ツイートは恥ずかしかったので削除済み)
突撃!(イベントスぺースの)となりの出張編集部!(たしか201708コミティア)
だいぶ前の話だし時効だと思うしなんでお前が?って言われるから絶対言わんかったけど、初めてコミティア一般参加したとき…出張編集部って噂に聞くけど何してるんだろう……と思って……へへ…

なんで私が出張編集部に(「東大に」風)
いやあそこパラレルワールド(?)だなって思って…

とりあえず「持ってくるのは同人誌でもいいよ」は、企業説明会の「私服OK」に近い あと雰囲気も企業説明会っぽい(偏見)

フォロワーさんが気になる~って仰ってたしなんか…なにしてるんだろうって私も思ってつい…

A出版社さんはなんか特に言うことない~みたいな感じで、B大手出版社さんは明確な持論を漫画に持ってるらしかった なんかプロかった B社の話する

やっぱ恥ずかしいしめんどいな

B社の編集さん結構示唆的でおもしろかったです

①絵に頓着しない漫画家は成功しない。
②世界観にお金を払う読者はいない。魅力的なキャラが重要(※あくまでその編集さんはそういってた)
③なにかの「こだわり」のない漫画も成功はしない

つざき「オリジナルのぉ~特に短編が~描けないんですけどぉ~どうすれば(以下略)」
編集さん「キャラから作ればええんちゃう?」
からの②

「キャラの動きがみたいとか生活見たいとかで、世界観や雰囲気にお金を払う人はいない」らしいです 私世界観大好きなんですけど…

あと当たり前だけど同人誌は擬人化しかなかったので擬人化持ってったら(たしか二次同人誌でも大丈夫だったはずだけど多分これも「私服OK」)、開口一番が「艦これ!?!?」だった…
「いやそういう兵器擬人化というジャンルがあって…」「失礼しました」みたいなやりとり

「つざきさん三倍丁寧に描いて!!!」って言われて①だったけど、「三倍」(到達できそうな数字)と「丁寧」(「うまく」ではないというこじつけ解釈)のでなんかまあ……超ポジティブ

私が今めちゃくちゃ恥ずかしい告白してるところだけど、誰か見てます?

よかった……もう少し思い出してみます…

ちなA社さんはなんだろ…失礼な言い方だけど駆け出しっぽくて、ストーリーは総評して良くも悪くも言うことねえな…みたいな感じだったけど、「もうちょい擬人化らしい擬人化を見たい」と「最初の5p以内で擬人化だと分かる説明が欲しい」らしい 後者は示唆的だなあと

「擬人化らしい」というより「なんであんたはわざわざ擬人化という手法を選んでまで漫画を描いているのか、その意味を明確にした漫画が欲しい」、ですね これ納得

「つざきさんの絵柄はもう少しA社(20代前半向け)より上かな!」

わっちより画風的に冴えない方はいるんだけど、わっちより雑な原稿描いてる人は少なくともいなかった 同人誌持ってる人もいなかった

B社さんは「歴史系擬人化なら、当時の風俗や文化もしっかり描かなきゃだめだよ」って言ってました

③「こだわり」云々は「おめぇマジ軍服適当やなあ~~~」みたいな流れで言われた
私は服装はマジ描きして擬人化着せてもなぁ…とは思ってるのでアレだけど、多分私の漫画には総じてオタク的「こだわり」がないことに気付かれていたのはある

 

多分八月のに行ったんだな

 

総評としてはめちゃくちゃ面白かったです ただそれは「最前線の人の漫画論を聞けた」面白さだった でも一回くらい行ってみたら面白いんじゃないかな?ボコボコにされるかもしれないのが諸刃だけど……

 

 持ってたのは「On my Beautiful Garden」です。創作指向が強かったのでソレ。B社さんには「畳の上で死にたい」は褒められました。

 中村政則『戦後史』を読みはじめる→観たくなって『シン・ゴジラ』を見始める→描きたくなって『シン・ゴジラ』絵を描く。→完!!

 

 ある種の「戦争映画」っぽい?という気持ちがあったんですけど、どちらかというと政治的メッセージ性の強い(昔の記事に行政云々を書いたけどそれでも)映画なのかなと思いました。というのも、是枝監督が『映画の言葉を聞く』で「2000年以降、たとえば韓国映画などと比べて、日本映画には政治や社会がないといわれてきた」と言っているからです。その点では『シン・ゴジラ』にはそれがあった気がする。

 

 メディア芸術祭の『この世界の片隅に』監督のトークが今夜新宿で行われます。意を決すれば行けなくはなかったんですけれど、『この世界の片隅に』は映画より漫画が好きで、漫画の真意を原作者こうの史代さんに聞きたいなぁという気持ちがどちらかというと強いです。

「この国」の空をとぶとき悲しめよ

 

 というわけで今日はちょうど「すごい……まるで進化だ」まで『シン・ゴジラ』を観ました。あの演技すごい好き。

 

 よっぽど気合を入れないと、一回観た映画はぶっ通しで見ることはあまりないです。個人的ハイライトを見る場合が多い。はじめて見る映画も一回は休憩をはさみます。そういうとき個人的に思い出すのが『美学への招待』の一文です。

複製は便利ですが、便利であることがかえって短所ともなります。映画館とは異なり、居間でなら、寝ころがって映画のDVDを見ることもできます。止めて、トイレに行くこともできます。電話がかかってきたのなら、再び中断して、あとで続きを見ることも可能です。なにしろ、そのとき、その映画はわたしだけのもの、だからです。しかし、このような便利さの条件のもとでは、作品に集中することは、ずっと困難です。藝術作品が集中を要求するのであれば、わたしの自由になることは、藝術にとって好ましいこととは言えません。自由であるとき、われわれは怠惰になりがちです。

佐々木健一『美学への招待』中央公論新社、2004年

 

 ソレ!!!「集中して味わうことが芸術」だというのなら、私はもう一年は芸術を「味わって」いません。読書も含めてです。集中して面白すぎて止まらず気づいたら一時間とか、いつが最後だっただろう。もう少し自分に努力を課して芸術を味わいたいと思います。

 

 ちなみにこの「魅入られる感覚」の正体はなんだろう。数種類ある気がしていて、まずは『現代思想 臨時増刊号 緊急復刊 imago 東日本大震災と〈こころ〉のゆくえ』にも引用されている「自分を縛ってる常識や日常が粉々に破壊される感覚( 一万円札があってもおにぎり一個買えないのが、異様に自由だった、日常が壊れて、死と隣り合わせだけど、自分を縛るものがない )」とか、単純な「破壊という美しさ(『ユリイカ』の『シン・ゴジラ』特集で切通理作さんがこの「破壊の美しさ」について語っている)」とかなのかな。

 

 実は4月22日に「海を越える握手」のWikipedia記事が出来ていたみたいですわよ!!私が「ぼくの小さな神さま」冒頭を書いたときにはなかったと記憶しています。

 ダメージを受けたこと以下。

 

1898年に勃発したアメリカとスペインの戦争、いわゆる米西戦争で、マニラ湾のアメリカ海軍のデューイ提督に、イギリスのチチェスター艦長が救いの手を差し伸べた。その友情をたたえて作曲されたものだという説がある。しかし実際には楽譜の表紙に印刷されている、ある戯曲の言葉「ある考えがわたしの心にひらめいた…永遠の友情を約束しよう」という言葉にインスピレーションを得たというのが真実のようである。

戦争を背景に生まれた作品だが、現在では国際的な友情をたたえた行進曲として、海外親善の催しなどでしばしば演奏される。

 

 そうなん…だ…!?とも思ったのですが、よくよく考えたらWikipediaだし、「戯曲から引用」と書いてあるにもかかわらず「戦争を背景に生まれた」って書いてあるのはなんでだろうとか、英語Wikipedia記事ではこの説は正しいみたい?とかなんかいろいろある。

 

 「海を越える握手」は「星条旗よ永遠なれ」や「雷神」ほどメジャーじゃないので、記述は英語サイトに頼るしかないのです。まぁ不確かなものはまず語らず沈黙するのがいいのかな…。

坂口安吾『戦争と一人の女』に書かれている「戦争の破壊を愛している」という言葉とか、先の『映画の言葉を聞く』に載ってる「この世界の片隅に」の空襲とそれに対する対空砲火が来た時のすずさんのセリフ、「今ここに絵の具があったら…ってうち、何を考えてるんじゃろ」(でしたっけ)という言葉の、あの「(自分の大事なものが)破壊されていくことに魅入られている感覚」が大好きなんですけれど、『シン・ゴジラ』の「すごい…まるで進化だ」は間接的な「破壊」への賛美な気がする。
B-29は案外当時の日本人に、「怖い」というより「綺麗」と見られていた。「日常に非日常が覆いかぶさってきたとき、人間は恐怖より先にそういう感じ方をするときがある」。矢口さんが敵であるはずのゴジラの進化を、魅入られたように賛美するのは、そういう美しさなんじゃないだろうか。

「私が何かの物語(たとえば兵器擬人化)を描かなくなると、その世界全体が滅する、彼らが笑うことも泣くことも生きることも死ぬこともなくなる」という思いが前々からあって、これ八本脚の蝶の2002年12月5日(木)の文章(その二とその三)に該当するんです。「私が~死ぬこともなくなる」の文章力のなさと二階堂さんの圧巻の文章力。
芸術や文学においての技術(ここでは画力や文章力)は「説得力」だなとはよく思います。世界観や概念を伝える時の強さです。読者を殴る技です。

「文章ですら思いが書けない人間が漫画に自論なんて書き出せる?」という気持ちもあります。下の記事とは矛盾するけど、こうの史代さんはああやって断りながら本当に緻密な持論を展開しています。私もそれができればいいんですけれど。ムズカシイネ。(こういう中途半端な終わり方がまずダメ)