祈りにかえて

雑感雑記の文章練習・読書日記・調べもの進捗報告書/140文字以上用メモ

”此邦ニ生レタルノ不幸”

 ところで「お嬢さん」ってエロティックサイコスリラーものとしては最高だけど、百合映画としてはそうでもない気がする。というか「お互いどこに惹かれたのか」があまり伝わってこないというか……そういう映画でもないんですけどたぶん。

일만 설움 푸른 궁창 아래

일만 설움 푸른 궁창 아래

  • 조영욱과 THE SOUNDTRACKINGS
  • K-Pop
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

  『シネマの神は細部に宿る』に「エロチシズムはギャップの中にしか生まれない、よってギャップのない同性愛はあまりぐっと来ない」と書かれていて、そういう意味では非常に「ギャップのない同性愛」だった気がします。感覚の問題なので上手く説明できない……

 

***

 私の考えでは、一般的に日記や手紙からのぬきがきを公表するのは、ほとんど必ずまちがいだと思う。とりわけ生きている人たちの感情や信用をまもるために省略をしなければならない場合にはこう言えるだろう。こうした省略は日記や手紙を書いた人の本当の性格をほとんどつねにゆがめたり隠したりし、いわば精神的に修正されたよそゆきの写真のようなものを生み出す。つまり、しわやしかめつらやでこぼこなどをなめらかに消してしまうという物質的操作が文章の上でもほどこされてしまうのである。

(『ある作家の日記 新装版』レナード・ウルフによる序文)

私は二十六冊の日記を注意ぶかく読みとおし、その中から彼女自身の文筆活動に関連している個所のほとんどすべてを取り出し、本書を公表する。またそのほかに三種類のぬきがきをした。第一は明らかに作文の練習をする方法として日記を用いていると思われるいくつかの部分。第二は作品と直接関係がなくても、いろいろな情景や人びとが彼女の心にじかにどのような印象を与えたか、について読者に参考になるような個所を意図的に選んだ。というのは、これらが彼女の芸術の素材だからである。第三に、彼女が読んでいたいろいろな本について講評している箇所をいくつかおさめた。

(同)

 詳しくないけど『きけわだt

 『ある作家の日記 新装版』をぺらぺらしていました。

 ヴァージニア・ウルフは精神面の問題などで最終的に自死するんですが、その四日前まで日記が書かれています。遺書はWikipediaにも載っているんですけれど、物書きが「だんだん頭がおかしくなっていくのが分かる、文字も読めない、書くこともできない」って言うのは絶望だよなぁ……と思います。頭がおかしくなるのは怖くないけど頭がおかしくなる感覚は味わいたくない……。

 

期待を背負い期待を裏切る

押井 海軍の期待を一身に背負っていて、これほど期待を裏切った部隊もない。つまり、ほとんど成果を上げることができなかった。

(※日本海軍の潜水艦部隊について。『シネマの神は細部に宿る』)

 言いたいこと色々ありましたが疲れたので割愛。映画評論面白いなぁ。映画見ないけど。

映画を観ないが映画評論を買う

 新宿ブックファーストに行きました。照明暗すぎない!?目を凝らしてしまった。

 紀伊國屋は明るすぎていけないんですけれど、新宿ブックファースト本店はちょっといただけない気がする。ところどころ暗いです。

 池袋ジュンク堂が結構好きです。あと池袋リブロはとてもよかった。閉店が残念です。

小説書くの難しすぎて草中の草

 「美中の美」みたいな言い方をやめよう!

 

 小説って頭を使いますね!というかスイッチが一回入れば比較的書けるタイプなんですけど、スイッチ入る率が絵より低くなっています。

 

 映画評論が結構好きなんですけど、映画を観るのが本当に苦手です。集中力な~……

 映画評論は映画の説明だけでなく、その時事や時代背景なども語るので、最悪映画を観てなくても読めるんですけど、面白さは半減しますよね当たり前ですけどね。でも映画評論を読むためにではなく、創作に役立つという意味でも、純粋な娯楽としてでも、映画は本当に優れたものだと思っています。

 

複製は便利ですが、便利であることがかえって短所ともなります。映画館とは異なり、居間でなら、寝ころがって映画のDVDを見ることもできます。止めて、トイレに行くこともできます。電話がかかってきたのなら、再び中断して、あとで続きを見ることも可能です。なにしろ、そのとき、その映画はわたしだけのもの、だからです。しかし、このような便利さの条件のもとでは、作品に集中することは、ずっと困難です。藝術作品が集中を要求するのであれば、わたしの自由になることは、藝術にとって好ましいこととは言えません。自由であるとき、われわれは怠惰になりがちです。

(『美学への招待』)

 

 冬コミ決済完了しました やった~

「うつくしい」という言葉を特別な敬意を払って発音するひとが好き

 「うつくしい」という言葉に「"美"しい」という文字を当てた是非があるらしいです。「うつくしい」は古語だと「かわいいもの」というニュアンスが近く、「美しい」という言葉は「beautiful」に対応する言葉でもあるのでとかなんとか。

 

戀愛譚 東郷青児文筆選集

戀愛譚 東郷青児文筆選集

 

  今日の記事のタイトルは朝になんとなーく呟いたツイートからの拝借です。その呟いた後に『戀愛譚』を読んだらこの著者めっちゃ「美しい」を連発するな!?と思いました。短編集なのに一回か二回は出てくる。

 めちゃくちゃ文章綺麗でしたね。あと同人オタク的にはフォントもいいと思いました。お耽美好きは買おう。

 

 小説本を出したいなぁと思っていますがどうなることやら……「フィッシュオンザメリィゴオラウンド」っていうタイトルの、おやくろが遊園地に行く漫画ネームがあるんですが、これ小説がいいのかな。わからない。

叙述詩的昂揚、悲劇的なヒロイズム、理想の父や兄

 PCが異常に重い時とサクサクしているときが周期でやってきています。PCにもメンタル不調とかあんのかな……なんやろこれ……。

 

自死の日本史 (講談社学術文庫)

自死の日本史 (講談社学術文庫)

 

 

ところで、正統派社会学の教えるところによれば、日本経済の奇跡と言われるものの発端となるこの経済復興は、自殺の数を減少させるはずのものである。つまり、デュルケームの発見した法則によれば、自殺死亡率は経済活動の活発さに反比例するというのである。〔だが実際にはそうなってはいない。したがって〕これらの数字が示しているものを理解するためには、〔社会的側面よりむしろ〕日本人の心理的側面を考えてみるべきではないだろうか。

(略)

つまり、一九五四年に二十から二十五歳の結婚適齢期に達し、しかも戦争による男性人口の激減のために結婚の希望を奪われていた青年女子と、敗戦の時に思春期に達していた青年男子とである。

(略)

 これを見れば、どうしても太宰や、あるいは当時まだ若者であったもうひとりの小説家、石原慎太郎の小説の主人公たちの精神的混乱を思わずにはいられない。彼らのシニシズムの内面の絶望を隠す仮面に過ぎなかったのではないだろうか。

(略)

一九三〇年から一九三五年の間に生まれ、国家の奨励を受けて出生率の増大していた時期に生を享けたこれら若い自殺者たちは、敗戦の当時、十歳前後の年齢に達している。彼らは他の子供たちと同じように戦争中の国粋主義的風潮に心をふるわせ、太平洋戦争という叙事詩的世界の中で想像裡に出征した父親につき従う。
 その叙述詩的昂揚のあとで、彼らは英雄であるはずの父親が、死んだのでなければ戦いに敗れて、現実世界に戻ってきたのを見る。それから十年後、自分たちが大人になり、競争社会のなかで一人前にやっていかなければならなくなったとき、そして小さな利益を求めてあくせくと働く始まったばかりの繁栄のなかで何かの困難、彼らの失敗に出会ったときに、彼らをとらえたかもしれない嫌悪感を、どのようにして彼らは克服すればよかったのだろうか。その時、過去から聞こえてくるあの呼び声が、夢の世界に響きわたるあの悲劇的なヒロイズムの声が、どれほど彼らの心にしみわたったことであろうか。無償の奉仕という栄光のためにあれほど若くしてかなたの世界で死んでいった理想の父親へと、あるいはまた、自分自身が今到達した年齢の時にはすでにこの世から姿を消していた兄たちへと、彼らの思いは動いていく。理想の父や兄に彼らを一体化させようとする過去へのこの憧れを、交換価値の支配する砂漠のようなこの世界の中で、いかにして彼らは振り捨てればよかったのか。
 こうして五〇年代を通じて、日本経済が離陸しようとしていたまさにその時期に、数千人の若者が、悲しくも過去を忘れ得なかったがゆえに、死んでゆく。

(『自死の日本史』)

  

 Twitterでおすすめしたら皆さんの食いつきがよかった。おすすめです!

 学術文庫なので2000円もするんだなぁ。

 

 コミケに行き申込書も買ったんですけど、オンラインは16日決済〆切でそれまでに申込書冊子を解読できる気がしない……まぁ擬人化王国がいいのかなと思いました。あと一般参加(特に夏コミ)ってめちゃくちゃIQが下がる。サークル参加と気持ちが違うことに気付きました。

 

 とあるツイートで「フォロワー数を増やす手段の一つは「専門性のあること」を呟くようにすること」というものがあって、これは別に「Twitterのフォロワー数」に限らず、それこそコミケで活動するような人間@Twitterには求められている気がします。出張編集部で言われた「こだわり」ですよね……。

 私のツイートでの専門性ってなに!?と思った時、書籍に対する専門性は若干出ている気がしますがおふねに対しては、ない。ないったらない。あまりない。

 兵器擬人化としての一番の最善は何だろうと最近は考えています。

 どうにかしたいなぁ~~~~と思っています!コミケに行って改めて思いました!!おわり。

 

追記・

ちなみに……

 憲法改正反対の若い世代について、一九六五年時点で二九歳であるとすれば終戦時には九歳で、敗戦時に始まった教育を受けてきた世代である。それより若い世代となれば、初等教育段階から戦後教育である。戦後憲法の意義や「平和教育」が行われた世代が社会の中で占める割合が多くなるにしたがって、憲法が定着していき、戦争を絶対的に否定する意見が増大したと考えてよいであろう。

(略)

 ここで重要なのは、前述の若い世代の問題である。戦争絶対反対の増大も、戦後平和教育を受けた若い世代が増えていくことで説明できるが、こうした世代がより古い世代と交代し、三〇代から四〇代の社会の中堅になっていくのが高度成長期以降である。この人々の中からこの時期以降に活発化していく市民運動を推進するグループが現れ、全国に革新自治体ができていくときの支持層になったと考えられる。こうした革新自治体の多くが、自衛隊に厳しい態度をとっていく。

(『自衛隊史』)

青年の自殺が老人とともに多いのが、これこそ「ほんの昨日」の日本の自殺パターンであった。今は違う。四十代から五十代に最高峰である。この世代に負担がかかっているのである。よく見ると、青年期に自殺が多かった世代が年を取っただけである(執筆直後、NHK・TVでも指摘された)。

(略)

 その前の戦争に散って行った世代よりも幸福ではないか、と言われるであろう。それはそのとおりだと思う。そのことをいちばんよく知っている世代である。直接の目撃者だからである。

(略)

平和に耐えるためには、人類のより高度な部分、現実能力が酷使される。戦時中に自殺が少ないのは、戦火が国内に及ばない時代にも、世界の多くの国においてもそうであったが、それは、千年王国思想をも含めて、もっと幻想的なものに浸される時期だからに過ぎない。

(略)

この世代は、ほんとうに平和に耐えて来たと言える。そして、はからずも、三百年の労働観の最後を飾ることになったのである。

(中井久夫『家族の表象』)

児童文学作家アレックス・シアラーに性癖拗らされた

 アレックス・シアラーの著作はすべて読んでいないのですが、読んだかつお気に入りに限って絶版絶版という……今欲しいのは『ラベルのない缶詰をめぐる冒険』です。

 

ラベルのない缶詰をめぐる冒険

ラベルのない缶詰をめぐる冒険

 

 

 絶版!~完~

 うろ覚えなんですけど、ラベルのない缶詰は安く手に入って主人公はそれを気に入って買うんだけどある日開けたら切断された指が出てきて……という児童文学でアリなのか?という内容だった気がします。し、たしかこれバッドエンドじゃなかったかなぁ。でも「グロい児童文学」という概念は非常にエモいです。新品は手に入らない様子。中学時代(だったかな?)に売ったのを今更後悔しています。2007年ということはもし発売直後に買っていたら11年前なんですね。感慨深い……

 

世界でたったひとりの子

世界でたったひとりの子

 
ミッシング―森に消えたジョナ

ミッシング―森に消えたジョナ

 
スノードーム

スノードーム

 

  

 どれも絶版でした。シアラーは児童文学でも変化球とか斜め上とかを投げてくるので好きです。親近感あります。

 『スノードーム』はもう完全に児童文学ではないので、普通の小説が好きな方も是非読んでほしいです。遊び紙とかのデザインもすごい好き。

 

 美しいものは美しい人によって作り出されるとはかぎらない。実際にはむしろその逆であることが多い。世間から高く評価され、愛される作品を作った人間は、しばしば世間から疎まれ、ののしられる運命にある。人々に愛される人気者ではなく、孤独な嫌われ者なのだ。
 『スノードーム(原題=The Speed Of The Dark)』は、なによりも芸術家と芸術についての物語であり、作品とそれを創造する人間の物語だ。そこには芸術を通してしか世界と関わることができず、人間的な交わりや愛を経験できなかったものの願いが描かれている。
 また、この物語は、人間がもっとも崇高な動機からでも、もっとも理解しやすい欲求からでも、同じように恐ろしいことができることを示す試みでもあった。人は人を愛するが、それは相手のことを完全に知らないからという場合もある。相手を完全に理解したとき、愛は憎しみに変わりうる。もちろんその逆もありうるのだが。

(アレックス・シアラー『スノードーム』求龍堂、2005年)

 

 芸術かはともかく「芸術を通してしか世界と関わることができず、人間的な交わりや愛を経験できなかったもの」って言葉がなんか痛い……

 

陰翳礼讃

f:id:lotushasu17:20180810170447j:plain

 

 陰影を意識して描きました。「陰影を意識した」というのは、あの時代、LED電球(強く白い光の電球)がない時代の陰影です。

 

 

陰翳礼讃 (角川ソフィア文庫)

陰翳礼讃 (角川ソフィア文庫)

 

 

 青空文庫でも読めます。「ラスト・コーション」の日本家屋シーン・芸者シーンを見てたんですけど、明るい電気のしたでの芸者って若干さえない気がする(「ラスト・コーション」ではあえて日本が醜く描かれているのもあるのですが)。白粉って強い光に当たるとちょっとダサい。あれは陰影に映えるんですね……。芸者が夜に活動する理由の大きな一つに、白粉と陰影の相性があると邪推している。というのはさすがに嘘ですが。

 陰影のもとの日本女性ってやべぇ!!となったのが『蝶のみちゆき』という遊女の漫画の最終話の、庭から見た座敷と遊女の構図です。

 

蝶のみちゆき (SPコミックス)

蝶のみちゆき (SPコミックス)

 

 

 トーンじゃなくグレースケールで色がついているんですけど、本当に素晴らしいです。陰翳礼讃!

一番初めに戴くもの

 潜水艦の本を買いたいんですけどすでにまぁまぁ持ってるし問題は「読むこと」だし今はDVD(映像)が必要なのでは?と思います。私の創作、実在感のなさがヤベー。

 

 クロード・レヴィ=ストロースの『野生の思考』の古典的議論を思い起こしていただきたいのだが、固有名は構造主義人類学の中核をなすテーマの一つであった。彼はそこで、人名のシステムが、社会の分類体系と複雑かつ密接に絡まりあうことを鮮やかに示した。その考えでは、人名は社会の分類体系から独立した例外ではなく、そうした分類体系の効果として、その極限に出現するものである。たとえば彼は、ボルネオ島の移動民であるペナン族の複雑な人名体系を論じ、個人の名がいかにその社会で一定の地位を占めていた縁者の死去と結びついて変化するかを示した。個人の名前を決めていくのは、その社会が受け継いできた分類システムであり、その操作を受け入れることで個人は名前=その社会の中で自己の位置を獲得する。ある語が固有名として感じられるのは、「一定の文化体系の中において、その単語が、そのさきにもはや分類が求められぬ最終レベルに位置する」ことを意味するのである(レヴィ・ストロース 一九七六、二五八頁)。
 とはいえ彼は、人名にはもう一つの次元、すなわち名前が「名づける個人の自由な創作で、名付けられる人間を使って、命名者自身の主観性の一時的状態を表現する」場合があることも認めていた。彼はこの二つの名づけを歴史的に並べはしなかったが、ここには「冷たい社会」と「熱い社会」の秩序原理の違い、一方の構造性と他方の歴史性の違いとのゆるやかな対応がうかがわれる。近代社会は、名づけが繰り返される集団の分類操作の一種であったような社会から、むしろ両親や祖父母が生まれてきた子の名前に自分たちの期待を刻印していく社会への変化を内包していた。つまり近代が進むに従い、新たに出生した子どもたちの名づけは、過去の分類体系をいかに参照するかという選択よりも、両親がその子の未来に何を託すかという選択に従っていくことになった。

(栗原彬『ひとびとの精神史 第3巻 六〇年安保――1960年前後』岩波書店、2015年)

 

 おふねの名前が結構好きです。

 

 使いまわしに見えるけど使いまわしじゃなく伝統の重みなんだろうし…。でも伝統の重み(?)という意味では旧海軍潜水艦は改名しすぎじゃないですか!?後世のオタクに厳しい作りになっている……。

  「名づけが繰り返される集団の分類操作の一種であったような社会(過去の分類体系をいかに参照するかという選択)から、両親がその子の未来に何を託すかという選択に従っていくことになった」。帝国海軍は過去だからもうどうしようもない(?)けど、現代艦艇にはなんか新しい名前でも生まれないんですか?昔DDHにいた???失礼しました。「名づける個人の自由な創作で、名付けられる人間を使って、命名者自身の主観性の一時的状態を表現する」……。

 潜水艦は、昔は伊呂波+番号の固有名なしだったわけですし、「もちしお(望潮)」などは戦後で一代目ですよね。 

 あと「シーフレンド7」という名前も、本気で考えるとなんとなく面白いというか、「海のお友達(7代目)」なの、最高にかわいいです。

 帝国海軍では信濃以後の空母勢の名前が結構好きです。

 

以前『廃墟シネマ』(「NONFIX 廃墟シネマ」として二〇〇〇年八月五日フジテレビにて放送)という廃墟好きの方々を追ったテレビ番組の方を取材したんですね。その方は廃墟の写真を撮っている一方で、建造途中のビルや橋を撮ることにも強く惹かれていて写真にしている。「壊れていくものとつくられている途中のもの、どうしてその両方に興味をお持ちなんですか?」と質問しました。すると「壊れていくものとできあがっていくものは、その一瞬だけ撮ると同じように見えるから」と答えられていたことがすごく印象的でした。

(『映画の言葉を聞く』フィルムアート社、2018年)

生まれたばかりで名づけられていない赤ん坊と、次第に固有名詞で呼ばれなくなるお年寄りが、名前を持たないという点で廃墟に似ていると記されています。つまり、廃墟とは、何かの「後」ではあるが、「何かそのもの」ではない。したがって、人間は廃墟に似ている、と語られています。

(同)

  関係ないけど某DDHさん、進水の時の恰好と除籍後の例の姿がそっくりですよね!?構造物がないやつ……。

 

 

 標的艦もある種の栄光なのかもしれないけど。でもそれはしらねの栄光ではなくべつのなにかの栄光なのかな。わからん。

 

 現代艦艇をしらないのに現代艦艇語っても仕方ないだろとオタクは思った。今日は潜水艦の資料を一律机の上に上げて手に取りやすいようにしました。これでもう勝ったも同然です。

 

 今日の『死に魅入られた人びと』は203000円と265000円です。

ボラ中という言葉を最近知ったが今年の夏には流行らなそう

 映画「この世界の片隅に」はitunesで買っていました。映画館で観たままで終わり、iTunesのはしっかり観てなかったんですけど、結構名作じゃないですか……。

 漫画のキレキレ感と表現描写力にやられて映画を世間ほどやんやしてなかったんですけど、うん、これ名作だ……12月が待ち遠しいですね。

 

 こうのさんの漫画の自由度を愛しています。まるまるカルタ回とかすごくないですか!?これをWJでやったら怒られそう、というか一気に読者投票の数が落ちそうです。

われわれは表現者である以上、なにがどこまで表現のための武器なのか、使える手立てなのかということはつねに考えているべきだというのが僕のスタンスです。こうの史代さんもそうした意識の強い方だと思いますね。こうのさんはたとえば「こうの」というハンコを使うだけで絵を描いてたりします。『この世界の片隅に』の原作マンガは本当に様々な手法が使われていて、たとえば映画のエンドロールのところにすずさんが口紅で描いているシーンがありますが、あれに相当する原作の場面では本当に口紅を使って原稿を書かれたそうです。われわれは何かを表現しようと思っている以上、自動的に歯止めをかけてしまうのが一番つまらないと思う。こんなこともできる、あんなこともできる、という発想を有するほうが豊かだと、あくまで個人的には思います。

(『映画の言葉を聞く』)

 (ハンコ漫画は『平凡倶楽部』収録)

 

 映画を観ながら例の「減点評価方式の戦争もの」について考えていましたが、たしかに「あの時代の人たちがどう生きたか」を書きたいのに、やれ加害性だとか何が描かれていないとか言われたら嫌だなあとなりますね。もし私が100年後の漫画家だとして、平成最後の夏のとある男女の恋物語を描きたいのに、東京医大1で減点加点、オリンピックボランティア1で減点加点だったら確かに嫌だ。医大もボランティアも関係なく男女は恋愛して生を謳歌するんだし…。

 いやオリンピックボランティアをめぐっての男女の恋愛……オリンピックボランティアに行きたい男と猿島でバカンスしたい女の攻防の物語でもいいのだけど、それは筆者の取捨選択の自由であって、文句をつけるところではないんだ。

 

 

 原作『この世界の片隅に』は映画公開の数年前から持ってたんですけど、一時期著しく本が読めない時があり、ちょうどそこの時期に買ってしまったので映画公開まで読みませんでした。みっちり絵が描かれてるので読みにくい印象を受けていた。絵柄が独特なのもあります。タイトルに惹かれて買ったのを覚えています。

 

 ちなみに上巻も下巻も最近見当たりません。どっかに紛れてしまいました。かなしい。

 

***

 「美学」といえば、「風立ちぬ」の”美しいものを追い求める”という概念が結構好きです。

 二郎がサバの骨を美しい、飛行機を美しい、菜緒子を美しいというんですけど、二郎は本質的に美しいものが好きなだけで他を見ていない感じがある。おきぬさん(使用人の女性)が学校に計算尺を返しに来てくれた時、後姿の幻影を見たのは幼い菜緒子ではなく妙齢のおきぬさんであって明らかに菜緒子がアウト・オブ・眼中ですし、初めてのテスト飛行の時には、危うく死ぬところだったパイロットを気にする黒川に対し、二朗は「深い感銘を受けました」とこれもアウト・オブ・眼中です。

 

(計算尺…そなたはうつくしい……)

 

 『ユリイカ』では「二郎が美しいものを追い求めることにより多くの”犠牲”が出る」とも指摘されていて、最終的には国を亡ぼすに至るんですけど、結局ワインを飲みながらその話すら肴にするんですよね。そういうの、好き。「美しい」が重要ワードだと思うんですよね。ただ美学的にはすでに「美しいもの」自体そのままを語るのは時代錯誤らしいです。

 

ピラミッドのある世界では、貧しい人たちから金を巻き上げて、頂点にいる人間が夢をかなえます。それは弱肉強食ではなく、もっとたちが悪い。弱肉強食の世界では弱者を食い殺して強者が生き残るのですが、ピラミッドのある世界では貧しい人間は、上にいる人間にどんどんお金を吸い上げられていきます。貧富の差があったり、差別があったりする世界です。

(『『風立ちぬ』を語る』)

 だから、菜穂子との恋も綺麗で、ゆえに残酷です。二郎が菜穂子を好きな理由はただひとつ、「綺麗だから」です。

 あらゆる人の営みは、犠牲の上に成立しています。だからこそ、せめて綺麗なものを見せたい。それが、『風立ちぬ』のラストシーンで宮崎駿が伝えようとしていることではないでしょうか。

(同)

宮崎駿監督も、文化・文明は犠牲になる人がいるから成立すると言っています。

(同)

***

f:id:lotushasu17:20180808183856p:plain

 できました!7700文字です。めちゃくちゃ多い量ではないですが、いかんせん漢字が多かった。今までで一番漢字変換に苦労しました。挫けそうだった。ところでこのノート、デジタルで作られてr…

 

 『ソヴィエト・ファンタスチカの歴史』を買ったまま積んでいます。これはいろいろネットを見ている限り、月をめぐるフィクションのお話みたいです。でもフィクションなんだけど、緻密な正しい歴史にところどころフィクションを挟んでいる形式。たとえば帯の煽りを見ると、「スターリンは「月を制するものが全世界を制する」という言葉を愛していた」と本書には書かれているみたいなんですけど、これはフィクションであって事実ではありません。だけどペラペラ見る限り緻密に歴史(ノンフィクション)に絡めているみたいです。

 誰かコレ帝国海軍でもやってくれない?と思ったのですが、いやいや擬人化だってある意味ノンフィクション歴史に擬人化というフィクションを挟んでいるんだろ……という。本書は本国ロシアで学者やメディアが「事実」として引用すらしたくらいフィクションノンフィクションが曖昧になっている完成度の高い本、みたいなので、擬人化もそのレベルを目指すべきなんだろうな~と思います。

 ……上記の『ソヴィエト・ファンタスチカの歴史』の説明、半分は推測なので読んだ人教えてね……。

「へえ、あんたも7って言うんだ」

 シーフレンド7ちゃんがかわいい。のでTwitterのプロフを艦艇擬人化アカウントから艦船擬人化アカウントにしてみました。

 


YOKOSUKA軍港めぐり新造船「シーフレンド7」オフィシャルPV

 

 今日はTwitterでトライアングル社推しみたいな人間になってしまった。まぁあたりまえですけど資料(?)がないです。ブログとかサイトを見るしかないです。

 軍港めぐりさんのブログを見つけたんですけど簡素だし、公式サイトからはたしてリンク張ってある?リンクが見つからないですが……

 シーフレンドは4と6が欠番なんだろうか……

 

www.itmedia.co.jp

 

 もう少し現代艦艇(とりわけ水上)に詳しくなったら「とある遊覧船の一日」って漫画を描いてみたいです。

 

***

 長編小説の章の冒頭に2,3ページ分ほど、1964年オリンピックの聖火の空輸~リレー描写を入れたくて数冊の本を漁っているんですけど、歴史系の小説の面白いところでめんどいところはそういうところですよね。ジャンプ!トウループ!!

 

 絵を描くことも、艦船を見に行くことも休日の外出も、調べものも一回始めると楽しいんですけど、いつの間にかやらなくなってしまいます。継続は力です。

 

f:id:lotushasu17:20180807175310j:plain

史実を描写できたらトリプルアクセル

――戦争に関する作品はもっと増えるべきだ、と。

こうの いまの一個の作品について「あれが入ってない」「これが入ってない」と言われてしまうんです。原爆ものは特にそれが顕著で、不思議ですね。たとえば『夕凪の街 桜の国』にしても、「海外が描かれていない」「被害ばかり訴えている」なんて言われていました。これが学園ラブコメだったら、「美少女のライバルがいないからだめだ」とか「壁ドンがないからだめだ」なんて言われないじゃないですか。

――たしかに戦争や原爆を題材にした作品は、フィギュアスケートのように減点方式で採点されているような印象はあります。

こうの もっと自由な形があってもいいはずで、そのなかから出てきたものが淘汰されればいい。

(『ありがとう、うちを見つけてくれて 「この世界の片隅に」公式ファンブック』)

 

 戦争ものとはズレるんですが、私も兵器擬人化はフィギュアスケート的なものとしてやっているかもしれません。兵器の細部を漫画で描写できればトウループジャンプ、小説で史実を説明出来たらトリプルアクセルです。単純にリンクを滑ってるのは創作物語部分とかBLってる煩悩の部分とかですね。

 

 漫画を描くのが好きにプラスして、たまたまおふねと兵器擬人化が好きを足して今の創作があるので、フォロワーさんにも結構な数いる所謂推しのいいところ伝えたい!という気持ちより、推しがさぁ…激動の人生…もとい艦生を送ってたら――――""最高""じゃん?という趣旨で創作をしています。

 だからなんか違うんですよね……でもじゃあ四コマ知識漫画を描きたいの?って聞かれるとそうじゃない。読むのは大好きだけど。物語を描きたい。でもここが「推しのいいとこ伝え隊」との境な気がしているので、四コマもチャレンジしたいです。私も推しのいいところ伝えたいよ。くやしいよ……

 出張編集部に行った時、歴史ものなら史実・風俗描写もないとダメだよ!って言われたんですけどそうですよね……ただリンクを滑ってるだけの演技なんて。でも飛び込み競技にはスワンダイブ(飛び込むだけで回転も何もしない)って演技があるって『DIVE!!』で習った。べつにそれはそれでアリだと思うんですよね。フィギュアスケートじゃなくて単なるスピードスケートかもしれないし。

 なのでそもそもフィギュアスケート前提で良いのかどうかです。それに推しが好きなら必然勝手に史実描写が増えるくらいの推し推し感が欲しいです。家電量販店でカメラの聞いても分からない機能と画素数の違いを延々と説明された時とかの、ああいう圧倒的"”推し""感。この艦おすすめですよ!!基本排水量が前型艦より3000トン大きいので!!条約制限も微妙に無視して作ってます!!お得です!今ならお客さんのために擬人化という手法で表現されています!!どうすか!みたいな……まさに話しても止まらない感じで…。

 

  今日の『死に魅入られた人びと』は41000円と54000円です。

 

*****

 最近は『八本脚の蝶』の読書ノートをつくっていたんですが、この本はいつか王子様がもとい「いつか神さまが」って感じがします。あるいはいつかご主人さまが、かな……「神を待ちのぞむ」って言葉が似合うし来たる誰かへの恋文だったのかもしれない(ちなみに『神を待ちのぞむ』の書名もこの本には出てきていたはず)。

 私の個人的ハイライトは2002年3月13日なんですけど…ネットでも見れるので見よう!

 

「私がまだ○○という言葉を知らなかったころ」と話し始めて、魔法がかったその語りに慄然とする。

(『八本脚の蝶』)

 

  読み返していたら同種の言葉がありました。パクってないよ!!

 ちなみに「海を~」という言葉は、私が何気なく書いた言葉の転用です。「美学(哲学)が好きでさぁ…まぁ最近その言葉を知ったんですけど……美学って言うんだね」という趣旨のブログを書いて、そのタイトルがなんとなくで「美学という言葉を知るまえから美学が好きだった」だったんですけど、あとあとこの概念はいいなぁと思い色々考え捻りました。「海を~」って進水前のおふねっぽくない?という……

 

***

 ぼくがまだ海という言葉を覚えていなかったころ、遠くにあるうつくしいものを指さして兄に「あれはなに?」と尋ねたことがある。「あのキラキラした、とびはねているきれいなものはなんていうの」
 兄は「ふねのこと?」と答えた。
「ふね?」
「うん。ぼくたちと違って海に浮かんでるやつでしょ?」
 兄はそう笑った。「海」と呟き、じっとそれを見つめたぼくのことなんてつゆ知らず、兄は愉快そうに小さく歌いだした。
「うーみーは、ひろいーな、おおきーいーなー、……もしかして、とびはねてるって海のこと?」兄は少しおどろいてぼくに尋ねた。ぼくは”海”という言葉に魅入られ、呆然とただそれを眺めていた。「海……」

「……うん。綺麗でしょ。海って言うんだよ。でも、その綺麗な 水面 ところ はぼくたちの生きる場所じゃないから」

シャクレミンゴ

あっっっっっついです。今日も変わらず晴海を悩みましたが、ヤベーみたいで行っても行かなくても心情的に大変だと思う。

 

********

 

 大勢の海上自衛隊員たち、若干の脇役、及び日本国民・アメリカ国民の数人、数隻の潜水艦を除けば、本書に名前の出てくる人物・潜水艦は全員死亡あるいは解体されている〔編者〕

 

ぼくの小さな神さま

 

 ※第1部から第8部までの注は、すべてバーミリオン・スナッパーによる

 

第1部 海を越えなかった握手

 

1

 「 海を越える握手 ハンドス・アクロス・ザ・シー 」は、アメリカの愛国心の象徴として有名な「 星条旗よ スターズ・アンドー 永遠なれ ストライプズ・フォーエバー 」を作曲したことで有名なアメリカのマーチ王、ジョン・フィリップ・スーザが1899年に作曲した、とある日の沈まない斜陽国家との友情を謳った、華やかで華々しく華麗な行進曲である。

 

 曲の冒頭は管楽器の音色が――あるいは海を越える友情の風が――テンポ116のフォルテッシモで逆巻くように流れる。通常、彼の行進曲はピッコロのバカに陽気なトリル*1が特徴的だが、それに比べ「海を越える握手」では典雅なピッコロの輪舞とフルートの転調、重厚なティンパニーとシンバルが控えめに唱和する。クレッシェンド、クレッシェンド、ガクッと肩を落とすようなフォルツァート。

 この行進曲は10年前の1989年の米西戦争で、マニラ湾において苦戦していたアメリカ海軍のデューウェイ提督を、イギリス海軍のチチェスター大佐が救援したことにいたく感激したマーチ狂いのスーザ(作曲したマーチは100を超える!)が、「 変わらぬ友情を誓いあおう オワ・フレンドシップ・イズ・フォーエバー 」と記念し書き下ろしたものである。アメリカの崇高な博愛精神と世界すべての国の友人を自称する立場からすれば、それはイギリスだけにではなく、海を越えるすべての国の友にむけられた友情の証といえよう(しかし1896年までアラスカを所有していた現ソ連は、作曲時には陸続きの国という認識の”時効”がアメリカ人の心情ではきれておらず、ゆえにこの友情は当時から今にいたるまで無効であった)*2

 

 しかしながら、実際のところ、海を越えた握手というものは、しばしば打算的で、卑下ていて、俗物的、即物的なものであることを、ミンゴは知っていた。

 それは見かえりを求められることが多い。それはうわっつらの友情の現れ、金銭的問題、外交情勢のためでもある。 それはスキャンダラスな姦計 ザット・イズ・スキャンラダス・プラン 。あるいは潜水艦のたりない国に自国のそれを貸与することであり、そしてその国は日本とアメリカであり、たとえばその上でもとめられる協力、たとえば日本にもとめられるアメリカへの協力、たとえば海上自衛隊にもとめられるアメリカ軍への協力、たとえば海上自衛隊にもとめられるアメリカ軍への対潜目標艦としての協力、たとえば海上自衛隊にもとめられるアメリカ軍への対潜哨戒機の目標艦としての海自潜水艦の協力。

 海上自衛隊に潜水艦を貸与して、アメリカ軍の対潜哨戒機の目標艦として手伝ってもらおうということ*3

 

  アメリカ海軍属のガトー級潜水艦ミンゴ ユーエスエス・ ミンゴ, エスエス―トゥーハンドレット・アンド・シックスティーワン (この艦名は、太陽がさんさんと輝くカリブ海を泳ぐフエダイ科ベニフエダイの通称ミンゴ・スナッパー――陸のうえにつりあげられるとパクパクと口をひらきマヌケな赤っつらを披露することで有名――にちなんでいた)は、この日、これからの己のアイデンティティについて悩んでいた。名誉ある正義と栄光ある神の国(カトリックが20パーセント・プロテスタントが50パーセント・何を信じているのかもよくわからない有象無象*4が30パーセント)アメリカで、ではなく、10年前――主に駆逐艦タマナミや、個人的に名前が気にくわなかったManilaマルを沈没させた*5 という貢献で――その調子ののった横っつらを叩いてやった敗戦国・日本でおのれのおこなうべき使命とやらを、精巧なつくりの機材でできた優秀な頭脳で、主に絶望的な気持ちで考えていたのだった。

 その絶望的な絞首台をあがりきるまえに、ミンゴは今までの人生――もとい艦生を思いだしていた。西部戦線・太平洋戦争を通じて200隻近く建造された潜水艦で、主に日本船団への攻撃、機雷敷設、哨戒、太陽に近づきすぎて羽のとけてしまった(もとい 太陽の国 ライジング・サン への攻撃にむかっていったが帰還に失敗した)英雄・B-29搭乗員の救出、ゲリラ活動の支援など、さまざまな栄光ある雑用に使われた汎用性のたかいガトー級の一隻(59男)として「ミンゴ」は生まれる。なおこのガトー級は、広くは「ガトー」*6(SS-212)から、足をもがれた黒いメキシコサンショウウオのような魚の名〔伊語〕をつけられた「ティル」(SS-416)までをさす。しかしながらその中でも、びっくりするほど下あごが鋭利に突きだしている魚の名から借名され、本人もよろしくそれをものまねネタとして披露していたおもしろネームシップの「バラオ」(SS-286)以降の潜水艦を、敬意と愛情をこめてバラオ級、と呼ぶのが一般的である。

 ガトーは1941年に就役し、ミンゴは1943年2月12日の戦時中――ちょうど日本軍がガタルカナル島から撤退したころ――就役した。いわゆる、すでにアメリカひきいる正義の連合国が戦争で 優勢 イケイケ になりつつあった時期であり、ミンゴはアメリカ国民がリメンバー・パールハーバー真珠湾を忘れるなと開戦よいしょ一発奮起していたという過去の出来事も しらないし フォゲット 、なんならポーランド侵攻も戦争への行進の一歩だった世界恐慌も、狂騒の20年代も、あるいは(歴史にはてんで興味はなかったので)アメリカ人が神の導きで大陸に移ってきたということもそんなに――そして本人は気づいてなかったが、アメリカがうぬぼれた戦勝国になるまえのつつましい、たった少しまえの時代すらも知らなかったのだった。

 

  いい戦争 グッド・ウォー だったな、とミンゴは思っていた。結局のところ、戦争でわが子をうしなった人間をのぞけば(というわけでわが子をうしなっていない潜水艦ミンゴものぞく)、あれは最高に面白い時代だった。アメリカは経済だってたてなおすこともできたし、長かった南北戦争の傷がいえたのは戦争での戦友との団結であったし世界でのリーダーシップをも示せた。戦争にはそれら「よいもの」がいっぱいつまっていた。 それに、単純にぼくら艦艇にとって、戦闘は本能だし、そうそうそうだよ、ああ、でも、それは人間もおなじか、あきずに戦争しまくるもんな、剣呑。

 

 軍隊には、外にはない幸せがある。  ゼア・イズ・ハピネス・オンリー・イン・ザ・ネイヴィ

 

 戦時中のわが輝かしい戦果は、 あまりに偉大すぎて ファッキン・アンビリーバブル こんこんと説明するには長すぎるので、ここではおいておくとして(太平洋に来た、潜望鏡で見た、小難しい国家理想をかかげる国に勝った、おわり)、今はくどく長々とした苦渋の心情と過去の描写――これはおもに現実逃避であった――を終えるときだろう。

 そんなわけで 潜水艦 サブマリン ミンゴくんは今、アメリカ西海岸の都市サンティエゴにあるサンティエゴ軍港の桟橋で、盛大にお別れ会をひらかれていたところであった。お別れ会もといアメリカからの引き渡し式典は、ストライプ模様が美しい米国国旗降下、凛々しい米国乗員の退艦、日本側乗員乗艦まで行われ――今、ジエイカンキ*7がミンゴの艦尾に掲揚されようとしている。ミンゴはそれを横目で見ながら、バラオよろしくあごをしゃくらせて歯ぎしりをしていたが、アメリカの乗組員の一人がそれを見咎めるようにこちらを睨んでいるのを機敏に察知し、アメリカ海軍軍人としての最後のプライドを彼に見せるべくその端整な顔を凛々しく引き締めた。

 艦尾右側の「MINGO」と書かれたプレートを水兵がはずすと、そこに現れたのはなじみのない(ミンゴは数年前の戦争中に、日本でそのフォントが「ひらがな」と呼ばれていることを知っていた)異国の文字――「くろしお」。

 

  ぼくは友情の握手のあとの雑談ついでにさしだす、ちょっとしたお土産のようなものとして、あの国の戦後初めての潜水艦になるらしい。

 今日、このサンディエゴの海は一段と穏やかだ。ミンゴの心もこの瞬間だけは何故か穏やかだった。精神医学はいわゆる恩赦妄想という病像を知っている。すなわち死刑を宣告された者が、その最後の瞬間、絞首のまさに直前に、恩赦されるだろうと空想しはじめることである。かくしてミンゴも希望にからみつき、最後の瞬間までそんなに事態は悪くないのだろうと信じたのであった*8。しかし妄想はしょせん妄想であり、その後の彼らの末路はただひとつである――。

 そう、その太陽に透かされた、血のような色の旗がひるがえったところでちょうど、元ミンゴもとい新生くろしおは、ついに絞首台をあがりきったのだった。 おわり ジ・エンド


―――――――――――

 

*1:「トリル」=ある音とその半音下がった音を早連続して奏でること。このある種躁的ともいえるバカ陽気なトリルは、我らの行進曲「星条旗よ永遠なれ」に特に顕著である。

*2:ロシア領アメリカ。今のアラスカ州。18世紀から19世紀まで帝政ロシア(現ソ連)は土地に飽き足らず北米にまで領土を持っていた。

*3:当初、在日アメリカ大海軍は訓練への潜水艦派遣をその心の広さからこころよく受け入れたが、訓練頻度が増え、また朝鮮戦争時の極東情勢への対処などから要望に応えきれなくなってきた。そこで日本側の潜水艦貸与要請を、日米相互防衛援助協定において受諾しおおせたのである。

*4:内訳・モルモン教や福音主義、ユダヤ教、個人的な信念、国家、金、あるいは無宗教という宗教など。

*5:駆逐艦「玉波」と陸軍輸送船「マニラ丸」。マニラ丸が沈んだのはマニラ市街戦の三か月前であり、また前述のマニラ湾もふくめ、毎度様のマニラにはアメリカ国民として頭があがらない。

*6:「ガトー」:メキシコ海岸に生息する小さなトラザメの総称から。「ゲイトー」が正しい発音。ゲイ、トー。

*7:自衛艦旗。あの国の軍艦らしき軍艦じゃないフネが掲げる、かぎりなく軍艦旗にちかいもの。

*8:ヴィクトール・E・フランクル『 ある心理学者、 エリン・プスュヒョロギー・ 強制収容所を体験する エーリィブト・ダズ・コンツェントラツィオンス・ラーガー 』、1946年。

 

****

 こういうのが書きたいなぁ~~と思っているんですけど、思ってるだけなので早く実行しないといつまでも実行できない。まずいぞ…

 

 どんなに拙い作品・同人誌でも、形になっただけすでに「やり遂げた人」だし頑張っているんだろうなぁと思います。別にアマチュアの趣味だからいいんですけどやるやる詐欺をするのがあまり好きではない…(一応そのつもり)

 あと小出しすると大体書かない書き終えない、というのは同人界でも定評みたいですね。じゃあなんで出した。なんとなく…。

 小説(特に長編)を書く人って本当にすごいなぁと思っています。小説もとい文章って少しの狂いが気になりますよね。絵なら多少は誤魔化せるというか誤魔化せた気持ちになるんですけれど……どう書こうかなとか色々考えているんですけど、今は60年代の世界の艦船を集めるのが先では!?と思いました。まあそれが一番キツイんですが。

 とりあえず100%を目指さず、出来る限りでぼちぼち構成したい…けど、時期尚早だと思う。調べものをします。

 

 同人誌で買って一番嬉しいというか満足があるのが長編小説同人誌ですね。というか長編は良い。再録はまた毛並みが違う。

 

 上記の「編者」とかいろんな設定は、長編小説を書こう!となった時に『アーダ』がブームだったので『アーダ』パロというかノリと構成……もとい手記方式をパクりました。真面目に長編を書いたら私のメンタルが死ぬので…。

 前回の引用の『アーダ』の文章を見れば分かるんですけど、一文一文の情報量が多く非常に読みにくい気がします。でも私は好きです。

 

精神医学はいわゆる恩赦妄想という病像を知っている。すなわち死刑を宣告された者が、その最後の瞬間、絞首のまさに直前に、恩赦されるだろうと空想しはじめることである。 かくしてわれわれも希望にからみつき、最後の瞬間までそんなに事態は悪くないのだろうと信じたのであった。

(『夜と霧』)

アメリカでは一般的に、第二次世界大戦はナチス・ドイツを倒した戦争だからということで「グッド・ウォー(良い戦争)」だったと言われています。
(町山智浩の「アメリカ流れ者」)

 今日の『死に魅入られた人びと』は23000円と31000円です。昨日と0が一つ違うんですけど……最近めちゃくちゃ不安定ですね。

それは誰かの夢であり同時に以下略

 「クリエイターが何かを語りだしたときは大体創作がおろそかになりはじめる」というツイートを見て心の底から同意しました。昔に「ツイートすると満足しちゃって絵を描かなくなる」と言っている方がいて、「ブログはともかくツイートですらいけないの!?」とストイックさの欠片もない私は思ったのですが、まぁ事実なんですよね……このブログとかね……でも私はクリエイターじゃないので。作らない=悪ではないので……。

 でも本当の話、プロではなくアマチュアなら別に作らなくなってもいいのでは?とは思っています。作って何か大きな見返りがあるわけでもないし、自分がおしゃべりしたいならすればいいと思います…

 私はこのブログのおかげで文章が少し上達した気がする!

 

 後ろに1964年オリンピックのポスターが貼ってある!!なんで?いらなくない??いるんだよたぶん

 

 『1964年東京五輪聖火空輸作戦』『ひとびとの精神史1960年代 東京オリンピック』『ひとびとの精神史1960年代 六〇年安保』などを今まで読んできたのですが、1964年東京オリンピックって、日中戦争で流れてしまった1940年東京オリンピックの挫折の後の太平洋戦争と敗戦、そこから高度経済成長に移った中で行われた、あの時代の日本人の「熱烈な成功体験」だったみたいです。アジア初という誇りでもだったし、経済回復が軌道に乗り始めたし、その大きな通過点、成功の象徴だった。

 「コクリコ坂から」の原作は1980年代あたりが舞台らしいんですけど、アニメ映画ではわざわざ1964年前後に設定してあります。これは、映画公開当時の日本と日本人に対して上の時代もあったよ、「上を向いて歩こう」よ、というメッセージだったらしいんです。今生きている日本人(というか宮崎駿あたりの世代)にとって、日本のいちばんの上の象徴は1964年の東京オリンピックです。

 2020年東京オリンピックが、一部の人たちがここまで執着というか熱中しているのは、そういう熱烈な成功体験とか、上を向いて歩きたいという気持ちがその人たち(おそらくその時に若い世代で、今はお上のポジションにいる人たち)にあるんじゃないのかなぁ……と思っています。お金とか個人的な利益もあるんですけど、それ以外の暗い時代の今こそ見たい純粋な「夢」とか「成功」みたいなの。バックにあるのはそういう1964年東京五輪なんですよね(※背中の後ろ側にポスター貼ってあるという意味でのバックではない)。

 

 確かにボランティア休暇とか大丈夫か!?という感じもしますが、それにしても悪いニュースしかTwitterではニュースになってないようなのでそれもなんか悪循環な気がしています。

 

 今日は晴海も横須賀も行けませんでした。無念。

 今日の『死に魅入られた人びと』は265000円と344000円です。

「50年前の戦争」

 最近読書ノートをアナログで作っています。デジタルの方が総じて便利なんですが、PCの動作が不安定だったりPCの光を見たくないなぁという時にはアナログがいい……と思いつつすでに三回くらいアナログは挫折しているので分からないです。

 

f:id:lotushasu17:20180803184911p:plain

 アナログで作ったルーズリーフが片っ端からどっかにいってしまうんです。先が思いやられる……デジタルなぁ。PCが常に使えればいいんですけど。あとPCから少し離れたい気持ちもあります。

 

 『新宗教時代 5』を読みました。読んだったら読んだ。1996年発行なので、サリン事件の翌年に書かれたものだと思うと感慨深いです。「50年前の戦争」という言葉に時代を感じる。