祈りにかえて

雑感雑記の文章練習・読書日記・調べもの進捗報告書/140文字以上用メモ

長文記事を書こうとして挫折した下書き記事を供養する

 タイトルのとおりです。長文ドヤで語りたかったのに、途中で断念したブログ記事の冒頭書いた分だけを載せていきます。

 中断してしまう理由は二つあります。

 ①疲れて集中が切れたまま放置して忘れる

 ②メンヘラみたいな記事や宗教系の話になってしまったから(こっちがアウト)

 

 では!いざ!

 

20180821

 疲れると宗教学の本(あやしいのじゃないよ!)を読みたくなるこの現象はなんでしょう。人の祈りに安心感があるんですかね……。

 多分文章がとても綺麗なんだな。

 

 『八本脚の蝶』の二回目読了後の読書ノートを作っていました。二階堂さんの「身も心も神に委ねたい……楽になって思考停止したい……けど!!それでいいの私!?」的文章の多さがすごく印象的です。

 

道具になりたい。特権的な容器となって、自我を手放し全一性の光の中に溶けてしまいたい。
でも、それでいいの⁉いつもすぐさま自分を問い詰めてしまう。
「私」をあずけて楽になっていいの?

何かを信じるということは、目をつぶり鈍感になることだ。
それによって生まれる単純さによって安らぎと強さを得ることが出来る。
自分で立たず、大きな価値にくるみ込まれて「意義のある」人生をおくることができる。
でも、それは偽物だ。

それでも私はほっとしたい、何かを信じたいと思ってしまう。身を投じてしまう。
これは偽物、架空のもの。これの正当性に根拠はない。私の信仰によってこれは信仰に値するものとして聖化される。そう意識しながらそれでも行う信仰には最初から破綻がつきまとっている。

「神」を信じさえすれば楽になるということは重々承知なのです。
でも、そんな操作をして楽になるのって欺瞞だわ。

  『八本脚の蝶』について書こうとして挫折した記事。二階堂奥歯さんが宗教にはまらなかった理由、やはり「物語」があったからではないのでしょうか。

 

20180827

 大正~昭和あたりは漁れば史料は出てきますし、戦時中なんかザックザクなんですけど、戦後~7、80年代って史料的に結構しんどいものがあるのでは?と思いました。おふねの話です。ほぼ世界の艦船に頼るしかない気がしている……。まぁ最近になってこの時代にドボンしたのでもしかしたら普通に探せばあるのかもしれないですが……。

 関係ないけどこの戦後~7、80年代の艦船のWikipediaの適当っぷりって際立っている気がする。やはり資料がないのか。

*

 私に足りないのは”公共性”なのかな、と思いました。

 

「映画は監督個人の作品である」「監督がやりたいことをやるのが映画だ」という見方を、特に映画マニア・映画ファンの方々はされますよね。僕は「それって本当かな?」と思うんです。公開した瞬間に、映画は監督やスタッフや俳優のものではなく、観客のものじゃないですか。観客というのは、要するに公共ですから、それがひとつ。もうひとつはアニメーションだから、子どもが観ることが大前提にある。いまはもう少し大人の世代が中心になって観ているのかもしれないけれど、東映動画という会社は「子どもが観るもの」と決めている。そうしたときに、監督の表現やアイデンティティなど作家主義的なものより、まず公共が先にきてほしいんです。一般向けであれば「表現=芸術」という観点で作家主義が先にきてもいいと思うけれど、アニメーションの場合は、表現であり芸術である前に公共性が先にくるべきだと。それを外したら子どもに見せるべきではないと思うんです。

(『映画の言葉を聞く』)

  人にわかるように説明したり、ネタの解説をしたり、理解されるように描いたりするのがとことん苦手みたいです。私はわかってる、お前もわかってるはず、が多すぎる。このブログでもそれを感じています……直したいです。

*

 『新宗教時代5』には「歴史的に見れば信仰というものは時に命懸けなものだとわかるだろう」と書かれており、例として、踏み絵や殉教、イスラエルとパレスチナの闘争、アメリカの人民寺院の集団自殺などが上げられています。私としては真っ先に思い浮かぶのが自爆テロなんですけど、自爆テロが日本でも認知され始めたのはこの本の出版後(1996年以後)みたいで、だから書かれていないのか、あるいは自爆テロは「たまたま過激派が行っている」だけであって信仰とは関係ないのか?と疑問に思っています。

  話がころころ変わってる。長文を描くのが苦手なのでブログを始めたのですがまるでTwitter。

 

20180914

 たまにはガチで長文を書いてみるか…となりました。書けるかはしらない。

 

 11月の擬人化王国はともかく、12月のコミケに当選したらどうなるんやろなぁと思っています。

 現代艦艇にちょいちょい片足をだしてから、男性フォロワーさんが結構増えました。帝国海軍艦艇擬人化の時はほぼまったく増えなかったんですけど!!帝国海軍艦艇ジャンルにももちろん男性がいるわけで、その方々と相互だったりもするんですが明らかに6年の帝国海軍艦艇擬人化時代<<<十数か月の現代艦艇擬人化に進出す…るかもな~時代の多さで男性フォロワーさんが増えた気がします。まぁそれは置いておくんですが…

 

 おそらく理由は私が情景絵を描くのが好きなインターネットお絵かきマンで、艦艇を積極的に描いているからなんだと思うのです。いうなれば兵器を描いているからなんです。でも私は兵器擬人化アカウントで、もうひとつ言うとすごい創作色の強い兵器擬人化創作アカウントです。

  長文を書いてみるか……(書いてない)。来たるコミケでのミリタリオタクさんとの軋轢が怖い!という話でした。イベント当日は本当に気を付けてね。

 

20181007

 99年以前から運営しているブログをずいぶん前に見つけて興奮したのですが、サーバーがYahoo!ジオシティーズでした。私は小学校時代からネットに浸かっていましたがジオシティーズは通らなかった。なのでジオシティーズはそのとき初めて知りました。

 

 この前、私はFC2ブログが好きなんだよね~と言いました。じゃあなんでFC2ブログにしないのかというと、更新が途絶えたときに広告が「でかい・汚い・(広告のせいで)読みにくい」だからです。更新途絶えさせなければいいじゃん?という感じなんですけど、更新が途絶える=死ぬときなんだろうな~とは思っている。

 インターネットは作っていた人が死んでもなお残るルーツ、とは言われている一方、ジオシティーズみたいにどんどん無くなっていくサーバーもあります。その時「一番無くなりにくいブログ」かつ「広告が邪魔しないブログ」がはてなブログでした(ブログサーバーには応援の気持ちで結構課金するのでこのブログはいまproですが…)。自分でもよくわからないんですけど、死んでもしばらくは残しておきたいってことなのかしら。大したこと書いてないんですけど。少なくとも絵は残しておきたくないですね……。というか別にブログだって残したいのかわからない、なんでそんな気持ちがあるのか自分でもわからない……。

 つかまだこの先十数年は死なねぇよ!?何回かこのことを書こうとしては消していました。メンヘラか!っていう……。ただ、そういう「インターネットは死のツール」ということに触れている人はまあまあいて、そういう意味で「死んでサーバー代が払えなくなったら全部消えちゃうんだよね…つら」みたいなことを言っている人はこれまで見てきました。

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 ※ここまでシリアスマジで重い気持ちではない

 

まぁ『八本脚の蝶』レベルだとサーバーが終了しても誰かが移転させてくれるんですけどね……。

 

「書くことによって、新たにすべてを把握しなおすことができるのです。わたしの想念、わたしの理想、わたしの夢、ことごとくを。」

「私の望みは、死んでからもなお生き続けること!」

アンネの日記――『kotoba(コトバ) 2018年 夏号

  ザ・メンヘラ回。

 

20181016

 『村上春樹雑文集』を途中まで読みました。「『アンダーグラウンド』をめぐって」が読みたかったので買いました。「東京の地下のブラック・マジック」が面白かった。

 

 別に新興宗教のはなしがしたいわけじゃなくて(「おそらく現存するすべての日本語単語の中でもっともうさんくさい言葉が「新興宗教」です」と『完全教祖マニュアル』にもある)、もしかしてオタクであることで救われている人って結構いるんじゃないのか!?と最近になって思ったことを忘れない内に書いておきたい。「オタクであること」正確にいえば、アニメや小説、漫画・映画という”物語”に救われている人たち。その”物語”を守ることで自身をも守ってる人たちがいるのかな~…みたいな。

 

 彼らはとくに不幸な育ち方をしたわけではない。ごく普通の家庭に生まれ、問題なく育った。基本的に真面目に勉強して、成績もよかった――少なくとも悪くなかった。両親に対しては多かれ少なかれ批判的だったが、かといってとくに反抗的なわけでもなかった。学校は好きになれなかったが、かといって規則を破ったり登校拒否したりはしなかった。交友関係は概して狭く、心を打ち明けて話が出来る友人はほとんどいなかった。孤独で、抽象的思考に耽るが多く、生や死や宇宙の成り立ちについて真剣に悩んだ。異性の恋人を作ることに困難を覚えた。もし作れても、健常な関係を維持することができなかった。

 そのようなタイプの人々は――まわりからあるいは「変わり者」「おたく」と呼ばれるかもしれない――どのような社会にも一定のパーセンテージで存在するはずだ。

 

 私か。

 

  話の前提のポイントとしては、

 ①サリン実行犯の多くは「遅れてきた世代」(「理想主義」を掲げた六十年代後半の学生反乱の時代のあと、政治的・文化的ブームメントが終わった「宴のあと」の世代)だった。

 ②「しらけ世代」とも言われる彼らが見たのは、限りない閉塞感だった。

 戦後五十年、日本人は物質的豊かさを目標にし、いくつかの問題を無視しながらも、それらは豊かになった暁には解消されると信じ熱心に働いてきた。しかし実際は、例えば殺人的電車に乗って出勤したりする日々が30年以上続く日々でしかなかった。

 ③社会の目的の喪失によって、今までは有益なスペシャリストとしての地位があった彼ら(上記引用)の受け皿がなくなってしまった。彼らは社会に対して「ノー」を突き付けた。しかし日本社会には「ノー」を受け入れる土壌はなかった。

 

 です。まぁこれはそこまで重要じゃなくて、面白かったのは「彼らは小説を読まない」と村上春樹が指摘していたことです。

 マジで語っている。が説明の前提がよくわからない。この記事はいつか完成させたい。

 

 ん~~~。集中力のなさが露呈しているのがつらいです。こんなんで小説を書けるのだろうか!?頑張ります。

『吉村昭 昭和の戦争 3.秘められた史実へ』

 寒い……。

 天候が寒いんですが「総員起シ」を読んだらさらに寒くなりました(心が)。『吉村昭昭和の戦争 3.秘められた史実へ』収録作品なんですけど……。

 そうなんだよな~沈没と認定ってそういうことなんですよ。それを忘れないようにしないと……。

 

 潜水艦の引き上げが「総員起シ」「深海の使者」双方にありました。「総員起シ」の潜水艦の引き上げが印象的でした。

 沈んだ艦船のスクラップは高値で買い取りされます。その利益のために行われた引き上げの様子、手垢のついた生き方。食べるためにただ生きている、ただ働いている戦後の姿。それに相反するように、引き上げた潜水艦の遺書の中には「大東亜戦争勝抜ケ」「帝国海軍ノ発展ヲ祈ル」とただ書かれている。潜水艦はタイムカプセルだった。

 

しかし強烈な宗教的情熱を最近目の当たりにした。偶像崇拝どころではない。最近の航空事故は悲惨であったが、その処理も私を大いに驚かせた。いかなる死体のきれはしをも同定せずにはおかないという気迫が当然とされ、法医学の知識が総動員されて徹底的に実行された。こういうことは他国の事故では起こらない。海底の軍艦の遺骨まで引き上げようとするのは我が国以外にあるまい。

 同定した遺体の破片は歯の一つでもすぐ火葬に付する。国に持って帰るのも、現地で火葬してからである。すっかり風化していても生では持ち帰らない。
 死者の遺体は――特に悲惨な死を遂げた人の遺体は――ただの物ではなくて、それは火できよめて自宅、せめて自国まで持ってこないと「気がすまない」とはどういうことだろうか。一つは、定義はほんとうはむつかしいそうだが、「アニミズム」と呼ぶのが適当な現象である。もう一つは、国なり家庭なり、とにかく「ウチ」にもたらさないと「ゴミ」あつかいしていることになるというのである。

中井久夫『家族の表象』みすず書房、2017年

  「中井久夫集」は4まで持っています。今は8まで刊行しているのかな?欲しい……

 絵を一枚描きました。

 

 

『ひとびとの精神史 第四巻 東京オリンピック 1960年』、『銃座のウルナ』

  書店に行った。買ってないけど面白そうな本が二冊ありました。

 

書店に恋して: リブロ池袋本店とわたし

書店に恋して: リブロ池袋本店とわたし

 

 二〇一五年に池袋から「リブロ池袋本店」がなくなって、僕の仕事がすこし変わった。この店の注文数が当てにできなくなったというのではない。この唯一無二の店の棚をイメージして、企画を立てることができなくなったということだ。

(略)

「リブロ池袋本店」は、人文書が充実していた。藝術書籍がかっこよかった。映画と音楽の匂いがした。ぼくが学生時代からずっとあこがれていたのは、その「映画と音楽の香り」だった。

(『本の雑誌 2018年5月号』)

  ちなみにリブロ池袋は『池袋ウエストゲートパーク』にも地の文に出てきたりします。主人公が通い詰めているところ。

 

 リブロ池袋はシックでクールな書店でしたね。この前私は、新宿ブックファーストの照明が暗すぎるよ!!と悪態をついていましたが、リブロ池袋は良い感じの暗さだった。照明に照らされた中井久夫の文庫の並び方が美しかったのを憶えています。

 あと古本市やアート洋書のセールなどをよくしていました。私も何冊か買いました。

 

 閉店はショックでしたね~結局一年くらいしかお世話にならなかったので、行けたのは数回か十数回のレベルでした。でも行けたのは良かったかなと思います。後世「リブロ池袋のはなし」になった時、あのリブロ池袋という概念を知らない人、話に入れない人がいるはずで、そう思うと経験できたのはラッキーでした(本好きとして)。私が軍港めぐりのオレンジ号を経験できないのと同種です……。

 

PLANETS vol.10

PLANETS vol.10

  • 作者: 宇野常寛,家入一真,イケダハヤト,伊勢崎賢治,井上明人,猪子寿之,押井守,落合陽一,乙武洋匡,片渕須直,岸本千佳,黒井文太郎,児玉健,近藤那央,坂本崇博,佐渡島庸平,消極性研究会,鷹鳥屋明,たかまつなな,橘宏樹,為末大,張彧暋,走るひと編集部,ハリス鈴木絵美,福嶋亮大,藤井宏一郎,前田裕二,丸若裕俊,箕輪厚介,村本大輔
  • 出版社/メーカー: PLANETS/第二次惑星開発委員会
  • 発売日: 2018/10/05
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログを見る
 

  すごく濃そう雑誌でした。哲学書コーナーにあった。最寄り駅の本屋、哲学書コーナーが充実していてよい。

 「戦争と平和の現在形」。アニメとかサブカルで哲学を語る書籍にはあまり手が出ないのですが、これはちょっと違う毛色なので気になっています。

 

 (「アニメとかサブカルの哲学書」というのは、「シン・ゴジラ」と「君の名は。」を絡めて語る哲学書系、『母性のディストピア』とか『戦争と虚構』とか『サブカルの想像力は資本主義を超えるか』とかです……)

 

東京オリンピック――1960年代 (ひとびとの精神史 第4巻)

東京オリンピック――1960年代 (ひとびとの精神史 第4巻)

  • 作者: 苅谷剛彦,栗原彬,テッサ・モーリス‐スズキ,吉見俊哉,杉田敦
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2015/10/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログを見る
 

  読んでいます。

『戦争の法』、『ひとびとの精神史 第四巻 東京オリンピック 1960年』、神保町ブックフェスティバルの存在を思い出したこと、”生きるよすがとしての言葉”

 このブログは文章練習、というか「読むに堪えうる文章を書く”根気”をつける」ためにはじめました。その目的を見失っているきがする。五分でババッと書いちゃうみたいな……。

 

 「神保町ブックフェスティバル」が今月末に行われます。行ったことない。行きたい。行きたいし行くけど……。

 最近は「本を買ってどうする?」という気持ちがあったりします。本より洋服とか、何か人間として・人間に擬態するために必要最低限のものを買うべきなんじゃないの?と……。端的な話、書籍にお金を取られすぎてる。

 しかも最近は昔ほど読書にのめり込んでいないので、惰性で読んで惰性で買っている感じが少しあります。惰性のために一冊2400円を使っていいのだろうか?

 *

 荒川修作という芸術家と、著者中井久夫の邂逅が『世界における索引と徴候』に書かれています。荒川は自身の芸術活動を「死なないためにだ。俺は、死なないためにやっているのだ。芸術?そんなのんきなものじゃない」、と言っているらしい。そういう気持ちは私にもよくわかって、読書って死なないためにやってるんですよね……。生きるよすが…。

 

 「連合赤軍について呟くとフォロワーが減る」感覚わかります(私は宗教の話するとだいたい引かれる)

 

 まあ楽しくやっていきたいですよね。ということで月末はいっぱい本を買ってきたいです。

 

 疲れながらブログ書くとだいたいメンがヘラるんですが!!!"""死"""じゃないよ本当……。ブックフェスティバルに共和国とみすず書房と青土社が居ますように!!~完~

『アーダ〔新訳版〕』『「戦争経験」の戦後史』

 やっぱり『アーダ』は面白いなと思いながら読み返していました。私はアーダより妹リュセットが好きです。仲間がいない、という発言から陰鬱さがどこかにあるのかな…孤独美人……幼少期には鼻くそほじってたけど……。

 

 この小説、1969年に書かれているんですね。そうとは思えない。

 私のよく話している『アーダ』は若島さんの新訳で、旧訳は77年に出ています。おやしおが解体された年か~(潜水艦基準)

アーダ (1977年)  上下

アーダ (1977年)  上下

 

  新訳が出るまで高騰していたらしい。私は新訳にまったく文句はないので、旧訳にそこまで関心はなかったんですけれど、ちょっと気になってきました。ただ77年な~40年前の日本語訳…

 

「約束するよ。だめ、だめ、だめ」リュセットが思慮分別のない愛に我を忘れ、腹部をヴァンの腹部に押しつけそうになったとき、彼はロシア語訛りで続けた。「 絶対にだめ ニカークス・ニェート 。唇も、人中も、鼻尖も、虚ろな目もだめ。女狐ちゃんの腋の下だけ、ただし――」(記憶が曖昧なふりをしてのけぞりながら)――「そこ、 剃って ・・・ ないの?」
「剃ったら余計に臭うから」と単純なリュセットは打ち明けて、おとなしく片方の肩を露出した。
「手を上げろ!天国を指して!テラ!金星!」とヴァンは命令して、同期した動悸数回のあいだに、熱くて、湿って、危険な窪みにあわただしく口を押し当てた。

  かわいそうなLに プアー・エル

 あなたがすぐに去ってしまったのは残念でした。わたしたちのエスメラルダにして人魚姫を卑猥な悪ふざけに巻き込んでしまったことはもっと残念です。もうあなた、愛しい火の鳥と、一緒にあの手の遊びをすることは二度とありませんから。メンゴ[ごめんなさい]。

(略)

 あの破廉恥な、ただ根本的には無邪気な場面を、私たちは申し訳なく思っています。今はちょうど感情的なストレスから回復することが必要な時期です。この手紙は破ってきれいさっぱり忘れてください。

 愛情をこめて A&V
 (アルファベット順)

 

「これって、わたしに言わせれば、もったいぶった、ピューリタン的な駄文よ」とヴァンの手紙を一瞥してアーダが言った。「あの子が甘美な 痙攣 スパーズマチカ を経験したのに、どうしてわたしたちがメンゴしなきゃならないの?」

(『アーダ 〔新訳版〕』)

旧訳は「メンゴ」してるんだろうか… 多分してない。

 妹をからかいすぎて妹が自殺する、という言ってしまえばそういう話でもあるんですけど…後者は謝罪形式のからかいの手紙です。訳者が指摘しているように、アーダとヴァン、人格的にいえばダメな人間だとは私も思います。でも面白いんですよね~ウンウン。

 

20181011 追記・

 

「戦争経験」の戦後史――語られた体験/証言/記憶 (シリーズ 戦争の経験を問う)

「戦争経験」の戦後史――語られた体験/証言/記憶 (シリーズ 戦争の経験を問う)

 

  読了しました。書籍名の羅列が多い印象を受けた。どちらかというと私は「ひとびとの精神史」シリーズみたいなのが好きですね。

 

『現代思想 いまなぜ地政学か』

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 今度はバイブルサイズで再チャレンジです。

 紙と紙の大きさ、線の罫の長さ太さにはこだわり…というか合う合わないがあって、最近バイブルサイズのLIFEリフィルが合うことに気付きました。

 

 小説を書いています。おやくろ。小説の書き方はさっぱりわかりません。ただ漫画は最初はおぼつかなかったレベルでしたが、描き続けることで少しずつ上達しました(たぶん)。なので小説も慣れなんだろうなと思います。

 

 

現代思想 2017年9月号 特集=いまなぜ地政学か ―新しい世界地図の描き方―

現代思想 2017年9月号 特集=いまなぜ地政学か ―新しい世界地図の描き方―

  • 作者: 伊勢崎賢治,西谷修,中野剛志,纐纈厚,下斗米伸夫,峯陽一,磯崎新
  • 出版社/メーカー: 青土社
  • 発売日: 2017/08/28
  • メディア: ムック
  • この商品を含むブログを見る
 

  読了…ということにした(再び)。さすがに少し難しかったです。

『歴群「図解」マスター 潜水艦』

 今日は読書ノートをデジタルで作りました!アナログはだめだね…またチャレンジしますがたぶん……。

  というか人生の方向性がすでに変わってしまったんです。どれだけ建築デザインの勉強をしたところで、そして仕事がうまくいったところで、それで終わってしまったら仕方ないんじゃないか。それより、修行を積み重ねていって、最終的に解脱を果たせたら、そのほうがいいはずだと考えるようになっていたんです。
――その時点ですでに、現実の世界にはもう興味が持てなくなっていて、精神的達成みたいなものに人生の目標を切り替えた、というふうに捉えていいんでしょうか?
 そうです。
――そういう本質的な疑問に悩む人は、若い頃から様々な本を読んで、様々な思想に触れて、検証を重ねて、その集積の中から何らかの思想体系を選んでいくというパターンがあると思うのですが、あなたはそうじゃなかった。どちらかというとムード先行みたいな感じで、すうっとオウムに入っちゃった、というふうに見えますね。
 そのへんがやっぱり若さだったんじゃないでしょうか。いろんな思想に触れるよりも先に、宗教にぶつかってしまったというか。

(村上春樹『約束された場所で』文藝春秋、2001年)

 

 人間ならざるもの、人間に近いけど人間じゃないもの。僕の場合、ここが大きなポイントになる。具体的に言うと半魚人、ヴァンパイア、狼男。

(押井守『シネマの神は細部に宿る』徳間書店、2018年)

人間と人外。その本質は何かと言えばエロチシズムなんです。言ってみれば男が女に抱く違和感であり、女が男に抱く違和感。違和感があるからこそ惹かれてしまう。好奇心もあれば恐れもある。たぶん、女性にとって男性というのは、どこかしら恐怖の対象だったりする。野蛮だし、得体の知れないところがあるから。その反対に男性にとって女の人は未知なるもの。だからこそ惹かれるんですよ。エロチシズムはギャップのなかからしか生まれないというのが僕の考えで、それを言うと半魚人と人間の女性の出会いはめちゃくちゃエロチックなわけですよ。

(同)

 伊藤(和典)くんがよく言っていた「人ならざるものに生まれた哀しみ」だよね。

(同)

 

 

たかなみ公開

 長編物語がえがけないというか、大きな枠組みで創作の世界をつかむことができない…というか、創作の世界について考えることが難しくなった気がします。頭が回ってないのか。

 

 たかなみの公開がありました。

bubamara

Bubamara

Bubamara

  • Fanfare Ciocărlia
  • ワールド
  • ¥200
  • provided courtesy of iTunes
Bubamara

Bubamara

  • Volislav Aralica, Dr Nele Karajlic & Dejan Sparavalo
  • ワールド
  • ¥200
  • provided courtesy of iTunes

  bubamaraが好きです。というかクストリッツァのおかげでチョチェク(シプシー・ブラス)が好き。

神学

 元来「 人類救済計画 オイコノミア 」の根拠は、創世記1-28にある。つまり「産めよ、増えよ、地に満ちて従わせよ。海の魚、空の鳥、地を這う生き物をすべて 支配 ドミニオン せよ」である。キリスト教指導者はこれを根拠に「人間は神から自然界の一切の支配権を与えられているから、キリスト教再臨まではキリストに代わって世界を支配し、キリスト教に教化する権限と義務がある」とする「 支配神学 ドミニオン・セオロジー 」を打ち立てた。

(『新宗教時代5』)

でも一章ではこうなっているんですよ。

≪神は彼らを祝福して言われた。

「産めよ、増えよ、地に満ちて従わせよ。海の魚、空の鳥、地に這う生き物を全て支配せよ。」≫

「彼ら」というのが最初に創造された男女で、アダムとエバでないにしても、神様は、自分が祝福した人間が永遠に生きることを畏れるというのは、どうも矛盾するような気がして。

(『聖書を読む』)