祈りにかえて

雑感雑記の文章練習・読書日記・調べもの進捗報告書/140文字以上用メモ

「永い永い思い出のみ残る。今朝は有難う。兄の熱烈なる諌止にもかかわらず私達は行く」

 

(前ブログから転載)

 

 ということで横須賀に行ってきました。疲れてるのに寝れねえとばかりに(忘れないうちに)書きます。なやんだけど元はちじょうさんを見たことについて書きます。

 

f:id:lotushasu17:20171206084610j:plain





 

 

 本当にびっくりしました。めちゃくちゃどんよりしてた。なかば廃墟ですよね。

 

 んー艦番号が消えるのも知ってたし、まあ必然整備されなくなるのもわかってましたが、本当にもう除籍!知らない!みたいな朽ち方でびびりました。一番びっくりしたのが港のど真ん中(あたり)にいたことかな…もっと端っこに係留されるとかだと思ってました。たまたまかもだけれど。

 

 

 フォロワーさんのおひとりが、元しらねについて若干似たような感慨を抱いたといっていて、元しらねよりずっとタグボートのほうが存在感があるくらいだった、と言っているのが印象的だったのと、あるいは元しらねは標的艦(=役目がまだある)であり除籍艦の底知れぬ空虚っぷりとは違うと仰ってる方もいました。うーん面白い。ただ、私が元はちじょうを見て思ったのは、もし元しらねが同様の朽ち方をしているのなら、Twitterなどで皆さんがそろいもそろって「しらね」ではなく「元しらね」と呼んでいる気持ちがわかる気がしました。しらねは旗が下りた瞬間にもうなくなったし、その後をしらねと呼ぶのはあまりにしらねの栄光に対し失礼なのかな…と 思い ました(勝手な想像)。標的艦もある種の栄光なのかもしれないけど。でもそれはしらねの栄光ではなくべつのなにかの栄光なのかな。わからん。

 

 船霊信仰の化身、という設定で艦艇擬人化を行っている方が周りには数名というか結構いるのですが、私はなぜかあの擬人化たちを「船霊」と呼ぶのに違和感があって、いつも大体「擬人化たち」と言っています。まあ理由は割愛するのですが、船霊信仰の根源、「船には生霊がいる」云々みたいな考えがどう生まれたのかさっぱり理解できませんでした。けれど今日除籍艦を見て分かりました。すごい魂ってものが抜けた物体でした。ふねじゃなかった…。

 除籍艦は除籍されたらもうフネじゃないんだな。

 ちなみに「この瞬間まで思わなかった」は有島武郎の遺書からパクりました。「永い永い思い出のみ残る。今朝は有難う。兄の熱烈なる諌止にもかかわらず私達は行く。僕はこの挙を少しも悔いずただ十全の満足の中にある」。しらねもはちじょうもみんな満足の航海だったらいいですね。港の中央にどんとふねの遺物が置かれてるけれど、役目を終えたことを純粋に現役組に祝福されてるといい。

 

 関係ないけれど同時に練習戦艦比叡がおじいちゃん呼ばわりされたのも、抜かれすぎて魂抜けた結果なんだろうなと察することができました。しかも比叡は元比叡じゃないし……。

 

 

 

 

f:id:lotushasu17:20171206084612j:plain

 

 

f:id:lotushasu17:20171206084615j:plain



 

 フォロワーさんとご一緒でした。なにからなにまでいつもお世話になっていて申し訳ない…。ありがたいご縁です。

 

 フォロワーさんは完全防熱防備だったのですが、私は一般公開などとにかく屋外に長期でいる経験のない引きこもりだったので色々服装を間違えましたね…経験だ…