祈りにかえて

雑感雑記の文章練習・読書日記・調べもの進捗報告書/140文字以上用メモ

叙述詩的昂揚、悲劇的なヒロイズム、理想の父や兄

 PCが異常に重い時とサクサクしているときが周期でやってきています。PCにもメンタル不調とかあんのかな……なんやろこれ……。

 

自死の日本史 (講談社学術文庫)

自死の日本史 (講談社学術文庫)

 

 

ところで、正統派社会学の教えるところによれば、日本経済の奇跡と言われるものの発端となるこの経済復興は、自殺の数を減少させるはずのものである。つまり、デュルケームの発見した法則によれば、自殺死亡率は経済活動の活発さに反比例するというのである。〔だが実際にはそうなってはいない。したがって〕これらの数字が示しているものを理解するためには、〔社会的側面よりむしろ〕日本人の心理的側面を考えてみるべきではないだろうか。

(略)

つまり、一九五四年に二十から二十五歳の結婚適齢期に達し、しかも戦争による男性人口の激減のために結婚の希望を奪われていた青年女子と、敗戦の時に思春期に達していた青年男子とである。

(略)

 これを見れば、どうしても太宰や、あるいは当時まだ若者であったもうひとりの小説家、石原慎太郎の小説の主人公たちの精神的混乱を思わずにはいられない。彼らのシニシズムの内面の絶望を隠す仮面に過ぎなかったのではないだろうか。

(略)

一九三〇年から一九三五年の間に生まれ、国家の奨励を受けて出生率の増大していた時期に生を享けたこれら若い自殺者たちは、敗戦の当時、十歳前後の年齢に達している。彼らは他の子供たちと同じように戦争中の国粋主義的風潮に心をふるわせ、太平洋戦争という叙事詩的世界の中で想像裡に出征した父親につき従う。
 その叙述詩的昂揚のあとで、彼らは英雄であるはずの父親が、死んだのでなければ戦いに敗れて、現実世界に戻ってきたのを見る。それから十年後、自分たちが大人になり、競争社会のなかで一人前にやっていかなければならなくなったとき、そして小さな利益を求めてあくせくと働く始まったばかりの繁栄のなかで何かの困難、彼らの失敗に出会ったときに、彼らをとらえたかもしれない嫌悪感を、どのようにして彼らは克服すればよかったのだろうか。その時、過去から聞こえてくるあの呼び声が、夢の世界に響きわたるあの悲劇的なヒロイズムの声が、どれほど彼らの心にしみわたったことであろうか。無償の奉仕という栄光のためにあれほど若くしてかなたの世界で死んでいった理想の父親へと、あるいはまた、自分自身が今到達した年齢の時にはすでにこの世から姿を消していた兄たちへと、彼らの思いは動いていく。理想の父や兄に彼らを一体化させようとする過去へのこの憧れを、交換価値の支配する砂漠のようなこの世界の中で、いかにして彼らは振り捨てればよかったのか。
 こうして五〇年代を通じて、日本経済が離陸しようとしていたまさにその時期に、数千人の若者が、悲しくも過去を忘れ得なかったがゆえに、死んでゆく。

(『自死の日本史』)

  

 Twitterでおすすめしたら皆さんの食いつきがよかった。おすすめです!

 学術文庫なので2000円もするんだなぁ。

 

 コミケに行き申込書も買ったんですけど、オンラインは16日決済〆切でそれまでに申込書冊子を解読できる気がしない……まぁ擬人化王国がいいのかなと思いました。あと一般参加(特に夏コミ)ってめちゃくちゃIQが下がる。サークル参加と気持ちが違うことに気付きました。

 

 とあるツイートで「フォロワー数を増やす手段の一つは「専門性のあること」を呟くようにすること」というものがあって、これは別に「Twitterのフォロワー数」に限らず、それこそコミケで活動するような人間@Twitterには求められている気がします。出張編集部で言われた「こだわり」ですよね……。

 私のツイートでの専門性ってなに!?と思った時、書籍に対する専門性は若干出ている気がしますがおふねに対しては、ない。ないったらない。あまりない。

 兵器擬人化としての一番の最善は何だろうと最近は考えています。

 どうにかしたいなぁ~~~~と思っています!コミケに行って改めて思いました!!おわり。

 

追記・

ちなみに……

 憲法改正反対の若い世代について、一九六五年時点で二九歳であるとすれば終戦時には九歳で、敗戦時に始まった教育を受けてきた世代である。それより若い世代となれば、初等教育段階から戦後教育である。戦後憲法の意義や「平和教育」が行われた世代が社会の中で占める割合が多くなるにしたがって、憲法が定着していき、戦争を絶対的に否定する意見が増大したと考えてよいであろう。

(略)

 ここで重要なのは、前述の若い世代の問題である。戦争絶対反対の増大も、戦後平和教育を受けた若い世代が増えていくことで説明できるが、こうした世代がより古い世代と交代し、三〇代から四〇代の社会の中堅になっていくのが高度成長期以降である。この人々の中からこの時期以降に活発化していく市民運動を推進するグループが現れ、全国に革新自治体ができていくときの支持層になったと考えられる。こうした革新自治体の多くが、自衛隊に厳しい態度をとっていく。

(『自衛隊史』)

青年の自殺が老人とともに多いのが、これこそ「ほんの昨日」の日本の自殺パターンであった。今は違う。四十代から五十代に最高峰である。この世代に負担がかかっているのである。よく見ると、青年期に自殺が多かった世代が年を取っただけである(執筆直後、NHK・TVでも指摘された)。

(略)

 その前の戦争に散って行った世代よりも幸福ではないか、と言われるであろう。それはそのとおりだと思う。そのことをいちばんよく知っている世代である。直接の目撃者だからである。

(略)

平和に耐えるためには、人類のより高度な部分、現実能力が酷使される。戦時中に自殺が少ないのは、戦火が国内に及ばない時代にも、世界の多くの国においてもそうであったが、それは、千年王国思想をも含めて、もっと幻想的なものに浸される時期だからに過ぎない。

(略)

この世代は、ほんとうに平和に耐えて来たと言える。そして、はからずも、三百年の労働観の最後を飾ることになったのである。

(中井久夫『家族の表象』)