祈りにかえて

雑感雑記の文章練習・読書日記・調べもの進捗報告書/140文字以上用メモ

エバーノートで「信仰」と検索してみる

 『みやこ美人夜話』と『舞妓さんちのまかないさん①』を読みました。須藤佑実先生、推してます。

 

 『八本脚の蝶』の読書ノートを作ってたので、この本の話をしようと思ったんですけど面倒なのでやめました。また今度~。

 というわけで(?)神さまつながりで「信仰」という言葉をエバーノートで検索して抽出してみよう!約130ノートの読書ノートから24ノートヒットしました。多いのか少ないのかわからんね。

 というのも、日本人の多くは別に気合を入れて無信仰を貫いているわけではないからです。様々な宗教的知識を広く収集し、吟味、検討、熟慮、熟考の上で無宗教という立場を確立したわけではなく、なんとなく無宗教なのです。
(『完全教祖マニュアル』)

残ったのは、ただしつっこい、情愛みたいなもの。この人しかいないという、信仰にも似た、確信。でも、神さまも家族もなんにも持たないわたしにとっては、どうしても必要なものだった。いつのころからか強く頼るようになって、やがて、離れられなくなったのだった。
(『私の男』)

僕にとっては、ほとんど何もなくなっていました。教団と教祖に対しては、その実態を見るにつれてどうしても疑念が生じて仕方ありませんでした。ただ僕はその信仰を、発端である井上嘉浩との出会いに賭けていました。それが僕を教団につなぎとめていたほとんど唯一のものだったと言っていいと思います。
(『約束された場所で』)

「すでに、承知のとおり、信仰深い人間は急激に低下」
「文明の発展の信仰の両立は極めて困難である」
(『幼女戦記1』)

すでに僧籍にあった廣瀬は、「あきらめるのではなくて『よし、こんどは俺が盗んでやる』と思ってしまった。結局、盗みはしませんでしたが、私は餓鬼道に落ちた。信仰は壊れてしまったんです」。シベリアの飢えは抑留者の身体だけではなく、人間性をも砕いてしまったのである。
(『シベリア抑留』)

「……その後信仰は生を根底から支えるものと信じているし、また支えられて来た。……病気にならず信仰を得なかった生と現在の生のどちらを選ぶかと問われれば、現在の生をと答え得よう。……(病気になる前とくらべて私の気持は)今がみじめだと思っていない。」
(『生きがいについて』)

遠藤は「信仰というのは九〇パーセントの疑いと一〇パーセントの希望である」と言う。この疑いと信仰の両義性は日本の信仰のあらゆる側面に浸透している。
(『沈黙と美』)

とにかく自分が教会にはいるという行為を具体的に、近くありうることとして思い浮かべますと、たくさんの不信仰者の不幸な大衆からはなれるという考えほどに、わたくしを苦しめる考えはございません。
(『神を待ちのぞむ』)

矢内原のキリスト教信仰は「無教会」「無教会主義」と呼ばれる。この無教会主義はキリスト教著述家の内村鑑三が明治後期に提唱したもので、プロテスタンティズムにおける「人は信仰のみによって救われる」という原則を「徹底」することによって、教会という制度がもつ問題――党派主義や制度的な硬直化――を克服しようとする立場である。
(『矢内原忠雄』)

ヨブ記では、人間存在がこの世で生きていることに由来する構造的負債、ないし原罪性が問われているとみることができる。ヨブは、少なくともあからさまな悪事は働いていない。むしろ、世間からみれば神への信仰も篤い善人である。そうした人でもつきつめると、負債、原罪をまぬがれないという認識は重要である。
(『現代思想 臨時増刊号 緊急復刊 imago 東日本大震災と〈こころ〉のゆくえ』)

その法廷で、その地位の権威と威厳をもって、彼女は死の代わりに、彼の前に待ちかまえている命と愛のすべてを与えた。そして、彼の宗教からの保護も。信仰をなくしたとき、世界はどんなにひらかれた、美しい、恐ろしい場所に見えたことだろう。
(『未成年』)

「お母さま、私ね、こないだ考えた事だけれども、人間が他の動物と、まるっきり違っている点は、何だろう、言葉も智慧(ちえ)も、思考も、社会の秩序も、それぞれ程度の差はあっても、他の動物だって皆持っているでしょう? 信仰も持っているかも知れないわ。人間は、万物の霊長だなんて威張っているけど、ちっとも他の動物と本質的なちがいが無いみたいでしょう? ところがね、お母さま、たった一つあったの。おわかりにならないでしょう。他の生き物には絶対に無くて、人間にだけあるもの。それはね、ひめごと、というものよ。いかが?」
(『斜陽』)

「彼等がたしかに信仰にもえながら死んでいったのを私はこの眼でみた」
(『沈黙』)

私は今や、人間の詩と思想とそして――信仰とが表現すべき究極の極みであるものの意味を把握したのであった。
(『夜と霧』)

選別や空襲といった危機の時期ではなく、すり減らすような毎日の生活の中でも、信仰のあるものたちはよりよく生きていた。私もアメリーも、それを見てきた。それがいかなる信仰であろうと、宗教的なものであろうと政治的なものであろうと、関係なかった。
(『溺れるものと救われるもの』)

興味深いことには、これらの発言はキリスト教と無関係な学術的世界を背景にして生じており、その結果、「死後の世界は信仰のみの対象である」と考えるキリスト教の神学者の敵意を買った。
(『死生学1』)

陸軍チャプレン科のウェブサイトに掲載されている、チャプレンたちの自己紹介やコメントを見ると、チャプレンたちの使命感を支えているのは「愛国心」と「信仰心」の二つであることが窺える。
(『キリスト教と戦争』)

 バスチャンの予言は「メシア信仰」の構造ですね。いつか本物の神父さんが来て救われるんだというストーリーに、生涯をかけた人がいるのです。すごいことです。
内田 すごいですね。七代待てばやってくる、そう信じて二五〇年待ったんですからね。
(『聖地巡礼リターンズ』)

わたしはよく、新聞や雑誌の記者から、これまでの双子研究で最も驚くべきことは何でしたか、と尋ねられる。そんな時すぐ頭に浮かぶのは、「信仰心は遺伝する」という発見だが、多くの人のとってそれは信じがたく思えるようだ。
(『双子の遺伝子』)

アメリカが他の国々と比べようもなく強いのは、世界一を誇るサイエンスとハイテクのおかげであると理解されているが、それは表面上の認識でしかない。アメリカの強さを支えているのは神の言葉にしたがうという強い信仰の基礎なのである。
(『早わかり聖書』)

自分が拵え息を吹きこんだ偶像の前に跪き、存在しないということを知っている神に向けて、届くことのない祈りを捧げること。
信仰とは、神に向かって自分の全存在を捧げること。
自我を手放しその御手にこの身を捧げること。
自分の存在を神によって支えてもらうこと。
(『八本脚の蝶』)

私はその人に対して、ほとんど信仰に近い愛を持っていたのです。私が宗教だけに用いるこの言葉を、若い女に応用するのを見て、あなたは変に思うかもしれませんが、私は今でも堅く信じているのです。本当の愛は宗教心とそう違ったものでないということを堅く信じているのです。
(『こころ』)

新顔の中に信仰を持ってる人がいたの、その人がお祈りをしていると、兵隊たちは笑ったわ。「おまえの神さまはどんな助けをだしてくれたんだ?こんなことが起きているのにどうして黙っていられるんだ?」兵隊たちは理解できなかったの、磔になったイエスの足下でその人が泣いているのを。
(『戦争は女の顔をしていない』)

数世代の信仰が消されることになっても(それはおそろしいことですが)、長いあいだ、あまりにも長いあいだ私たちを支配してきたのは、死亡論、死の学問としか呼びようのない思想だったことを認めざるをえません。
(『死に魅入られた人びと』)

 

 こういうの見ると私は興奮するタイプなんですけど皆さんはしないですか……まあいいや……。

 

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 あと↑みたいな語りかけるタイプの日記を書きたいんじゃないんです。「公共性」が0の、「何食べた」とか「何時に起きた」とかそういうのを書きたいんです。私はそう言う日記が好きなんです。むずかしいなぁ