祈りにかえて

雑感雑記の文章練習・読書日記・調べもの進捗報告書/140文字以上用メモ

寓話性と童話性

 誕生日プレゼントにAmazonギフト券をもらったので、本を買おうと『アメリカ潜水艦隊の戦い』と『最終兵器の夢』とを迷いに迷いページ数の量の違いはどうかな、どっちが厚くて読みがいがあるかな、と比べたりと色々しながら「歴史秘話ヒストリア 幻の巨大潜水艦 伊400 日本海軍 極秘プロジェクトの真実」を買いました。Amazonでの買い物は往々にしてこういう事(※当初の予定とは全く違う買い物)が起こりうるのだ……。

 

 

 あと「Uボート」が1600円ほどで買えるみたいなのでこれもいつか欲しいです。

 


(『シネマの神は細部に宿る』で絶賛されてた)

 

 ところで「ローレライ」を見る気がそんなにしないです。Wikipedia読んでてなんとも想像しにくい……

 『シネマの神は細部に宿る』でもローレライはファンタジーと言われていて、「海底二万哩」もファンタジーと言ったうえで押井守さんは「僕は基本、クラシックでファンタジーな潜水艦にはあまり興味がない」と言っています。これ、言ってしまえば「クラシックでファンタジーな潜水艦もの」が一定数あるということですよね。

 

 私は「ぼくらのおきて」のあとがきに「潜水艦の童話性と寓話性に想いを馳せた」的なことを書きました。あとペーパーにも「潜水艦は軍艦戦艦自衛艦護衛艦という種別じゃなく一種の概念だよなぁ」とも書いた。

 

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(童話性と寓話性的な何かを詰めたやつ)

 

 潜水艦に使われる「ノーチラス」って名前も『海底二万哩』から取られてるとかそういうのも潜水艦性を煽っている感じある。

 また「空を飛びたいという人類の夢は呪われた夢でもある」という『風立ちぬ』の言葉は、海底に行きたいということにも当てはまるのではないのかなと思っています。宇宙とかもそうだと思う。「潜水艦(あるいは艦船)や航空機、宇宙船は“人間が生きてゆけない環境で所定の目的を達成しよう“と技術開発されたもの」と『潜水艦のメカニズムガイド』には載っているんですけど……

 

 ある種の人類の”夢”の象徴だといいです。海底には宇宙ほど夢はない気がするけど。

 

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 やっぱり長編小説書きたいです。書きます。ところで『アーダ』パロで行きたい、と言いましたが、パロですと言えばなんでも許される風潮はどうなんだろう……と思いました。計画上ではパロってほどパロってない感じもあるのでなおさらパロじゃないじゃんって…。

 

 『アーダ』の文章は超絶技巧なので私には真似は無理です!

>ナボコフ研究の第一人者として知られる若島さんだが、「『アーダ』は翻訳を終えた今でも分からないところだらけ」と笑う。

>「ナボコフが持てる技術をすべてぶち込んだ過剰な作品。」

 

 

 『アーダ』は冒頭で、編者以外の登場人物の殆どが死亡していることを示唆されており、これは主人公・ヒロインたちもすべて死去しているのを示していると思われます。また『アーダ』の原題は「アーダあるいは愛欲 ある家族の年代記」ですが、これは主人公・ヴァンがこれを書き記している……「アーダあるいは愛欲」という手記を書き記し自ら注釈を入れている設定です。

 あとは文章が読者を笑わせに来ているのが多いのも特徴です。だからなおさらシリアスが際立つんですが……

そして今、前後に付いている車のランプの動きを芸術家の目で追うと、形をした湖の辺ABに沿って東に進み、頂点Bに達したところで急に向きを変え、短辺をのろのろと上がっていってから今度は東に向かって這い、姿も霞んでかすかな点となり、対辺の中間点まで来ると、北に向かって大きくカーヴを切って見えなくなってしまった。

(『アーダ 下』)

 (大作家の海外文学に、本当に唐突に現れる中学の数学)

 

 私としてはこの二点を参考にちょっくらパロってみたいな~とは思っていたんですけどンン~どうなんでしょう。中途半端に薄いパロってパロか?パロって言えるのか?そもそもパロと言い張ればなんでもいいものなのだろうか?まあいいや……調べものしながら考えてみます。

 五年後に完成すればいいと言いましたが、五年後から書き始めるのが新しい時代区分に入ったときの礼儀かな、と思いました。しらべもの!

 

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「海底には宇宙ほど夢はない」までを早朝に書いて、そこでこのツイートをしたんですが、さっき判明しました。思い出したので貼っておく。