祈りにかえて

雑感雑記の文章練習・読書日記・調べもの進捗報告書/140文字以上用メモ

閑話休題

 ここで時代をいったん敗戦と占領期に戻す。敗戦の虚脱感で放心状態の国民に届いた「これからは科学の時代だ」というメッセージは輝いていた。多分「科学」が無条件に輝いたことはこの時をおいてないであろう。「ノーベル賞ラッシュに沸く今こそ最高だ」という声もあるかもしれないが、巨大な存在感をもって社会にのしかかっている現代の科学は、その知的達成が社会にプラス・マイナス両面の効果を及ぼし、その研究の維持も国家権力と並走しないと不可能になった巨大な政治経済的エンタープライズである。
 それに比して敗戦時の「科学」は同じ日本語でも意味は大きく違っており、もっと社会的に無力のウブな存在であった。「科学は希望の言葉であった」(鈴木惇『科学技術政策 日本史リブレット』山川出版社)。ここに敗戦数日後の新聞上の談話がある「科学的思考性をわれわれの日常生活の中に深く浸透さして行くということによって、将来大科学勃興の基礎を築いて行かねばならぬ。我々の日常生活万端の現象を全て科学的に切り替える(ことが重要だ)」(『朝日新聞』一九四五年八月一九日、東京商工経済会理事長・船田中、戦後衆院議長)。(略)再び身近に戦争が迫る中で、時代の言葉は「科学」から「平和」に変わっていった。
(『現代思想 特集・精神医療の新時代』)

しかしゴジラはただ痛みの記憶を喚起させるだけではない。その痛みを日本の主体性の回復という快楽へと昇華させる。敗戦によって日本は、占領下におかれるという外在的な要因と、自らの手によって戦争の責任を裁けなかったという内在的な要因の双方で、主体性を失った。そのようななかで、日本人が誇りを持つことのできるアイデンティティの拠り所が、科学技術であった。敗戦後の論壇には、日本の科学技術は優れていたが、科学技術動員の非合理性が化学戦の敗北を招いたといった論調がしばしばみられた。敗戦国民のアイデンティティの問題は、戦後日本のポピュラーカルチャーにも表出してきた。マンガやアニメの世界では、本来はか弱い子供たちがロボットなどの科学技術の力を借りて強くなるというストーリーが多く生まれた。『エヴァンゲリオン』もそのようなアニメの一つといえる。3・11原発事故で失われかけたのは、科学技術に優れた国民というアイデンティティであり、『シン・ゴジラ』で私たちが目の当たりにしたのは、そのアイデンティティを取り戻す物語であった。
(『ユリイカ 総特集『シン・ゴジラ』とはなにか』)

 

 読み終わったのが『戦争社会学研究2』、読んでいるのが『死の泉』、見途中なのがヒストリアの伊400のDVDでした。昨日の日記めちゃくちゃテンションが高いです。