祈りにかえて

雑感雑記の文章練習・読書日記・調べもの進捗報告書/140文字以上用メモ

好きに生きる

 今日は読書ノートを作り、絵の修正をしました。シーフレの髪の色を間違えた。どういうこっちゃ。

 今日ノートを作っていた『戦争の法』が好きで、持ち歩き用のがもう一冊欲しいんですけど、この本繊細な表紙の造りの上に変型でカバーが合わないんですよね……

 

戦争の法 (伽鹿舎QUINOAZ)

戦争の法 (伽鹿舎QUINOAZ)

 

 

冗談ではない。私は言った。「よく判りました。あなたは僕が善悪の区別も付かなかった、とそう思わせたいのですね」
 彼女は今までの話とは何の脈絡のない私の発言にびっくりして何か言おうとしたが、私はもう、当時の私に善悪の区別が付いたかどうかなどという質問を受け付ける気はなかった。私にもそんなことは判らない。だが私は続けた。
「戦争をやっている最中だって、僕にはやっていいことと悪いことの区別くらいつきました。仮に付かなかったとしても、付くべきであって、付かなかったというのは何の弁解にもなりません。戦争だからと言って人を殺していい理由にはならない。僕らは――という言い方をあなたが受け流した例はないけど、この際はあえて言わせて貰います――悪いと知っていて殺したのです。それが戦争ですよ」そして私は椅子を立った。「これ以上お話することは無意味だと思います。どうやらあなたは僕の疾しさを何とかするために、記憶そのものを組み替えてしまいたいと思っているらしい。僕は御免です」
「あなたの心を軽くしてあげたいだけなのよ」と彼女は言った。これは彼女の依って立つルールには完全に違反している。だが彼女には何かしらそう言わねばならない必然性があったのだろう。実際、私はそれで少し心を動かされた。
「そう言って貰えるのは有難い。でもあなたは何か勘違いしていると思います。あれは皆仕方のないことだった、正しいことだった、少しも気に病むことはない、なんて思ったら、死んだ連中が浮かばれない。それと、一つ間違えれば僕の方がその運命を辿っていたと思うのは全く別のことです。僕はこれでもあなたと話をするために、何冊か心理学の本を手に入れて読みました。それがこの感想です――善悪の問題に関しては、あなた方は完全に間違っています。保留付きの道徳律なんてありません。あれは戦争中のことだったと言って無罪放免にしていたら、そのうちどんな殺人でも認めなければならなくなりますよ。ぼくは戦争中のことを疾しく思わなければならないんです。もう気にしないなんて、言う訳にはいきません」
 彼女は溜息を吐いた。おそらく私の口調が必要以上に絶望的だったせいだろう。

(『戦争の法』)

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 読書や絵を描くことが半ば義務になりつつあるというか、まぁ描きたいときに描くというより一日を振り返って「今日の「成果」はどうだったろう」になっています。

 でもそれって創作だけじゃなくて、最近全ての軸がブレブレな気がしています。だからこのブログ始めたんですが…。

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 ブクログでマイナーな書籍の登録者一覧を見、そこから個人のブクログに飛んでみると、「そんな本があるんかい」と結構な頻度で驚きます。本が好きな人ならわかってもらえると思うんですが、書籍って階層があって、見えないところの階層の本は絶対その人には見えない。それを打破するのが読書SNSや本屋なのかなと思います。

 最近びっくりしたことは、十年以上お世話になっている本屋で映画雑誌コーナーを見つけたことです。あって当たり前なんですが、思いのほかその立派で広いコーナーがあることに気付かなかった。そこは芸能コーナーだと思っていました。そういう階層です。