祈りにかえて

文章練習・雑記雑感・読書日記・調べもの進捗報告書/140文字以上用メモ

『この世界の片隅に 劇場アニメ公式ガイドブック』

 昨日のこれなんですが。

  (昨日のこれ)

 

 水原さんがすずと一番近くに触れあったとき思い出したのが戦場での記憶なんですけれど、逆に米艦載機の攻撃を受けた時に思い出したのはすずのことだったのでは?と思っています。対比してそう。あの時とその時がいちばん「生きている」という実感を持っていた瞬間だったのではないのか。

 「銃座のウルナ」トークで、司会者さん(漫画家)が「戦場の兵士であるウルナが羨ましい。快感がすごそう」と言っていたのですが、この「快感」って敵を殺すこととか銃をぶっ放すことではなく、敵の放った矢が自分の頬に掠った瞬間の「自分が死ぬかもしれなかった可能性」への恐怖と、それに反動する、生きているという「動物的できちがいじみた喜び」*1なんじゃないのかなぁと思っています。高いところから落ちそうになるとヒヤッとした後に生を実感する……こと皆さんはないですか?ない?そっか……。

 多分、大学を出てサラリーマンやってると特に生を(「動物的できちがいじみた喜び」を)実感することなんてままないんです。別にサラリーマンdisじゃなくて日本にマジョリティとして生きてたらなかなかないです。たぶん。おそらくですけど……。そういう「戦場が羨ましい」だと思っています。

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 (下中央の「あの時わたしは間宮の羊羹が無性に食べたかった」の「あの時」は戦場での戦闘中という設定)

 

 生を実感する瞬間!みたいな物語が結構好きで、アレクシエーヴィチが好きなのも戦争話が好き(と言っていいのかはわからない)なのもそういう理由だと思っています。オチはない。おわり。

 

 

*1: 「あなたにどう伝えればいいのだろう、あのびりびりした感覚、撃ってるのはおれじゃねえ、おれが撃たれてるんだというときの。この世とあの世にいっぺんに足をかけているんです、両方に。戦闘が終わって、自分が生きているときの、動物的できちがいじみたよろこび。ウォッカが飲める、タバコはすえる。女をものにできる。」(『死に魅入られた人びと』より)