祈りにかえて

文章練習・雑記雑感・読書日記・調べもの進捗報告書/140文字以上用メモ

アトムの最終話の趣味が悪すぎるのでぜひ読みたい

漫画『鉄腕アトム』を読んだことはありませんが、『ひとびとの精神史 1960年東京オリンピック』に掲載されている小論文「手塚治虫――逆風が育んだ「マンガの神様」」を読んだことがあります。

 

「ロボットが正義のために戦う!」みたいな話の印象が「鉄腕アトム」にはありますけど、手塚自身が目指したものは差別問題や民族主義問題、ディスコミュニケーションなどの人間性を追求する話だったそうです。正義!みたいなのはアニメ放映がされる過程で、TV局側が子供たちにわかりやすくなるように寄せた……っぽかった。

なので手塚からしてみればその印象は意図せざるもので、そのことによって「自身の意図せざる『鉄腕アトム』という漫画」の存在に苦悩していたことは、『鉄腕アトム』最終話の「アトムの最後」という、幸せなアトムの世界を滅茶苦茶に破壊している漫画に強く現れている……らしい。

「アトムの最後」はロボットに人間が飼われてる、みたいなある種のディストピア話です。

 

(ウィキペディアでホントすみません)

まあそれはともかく、アニメと違い漫画にはそういった「アトムが人間の友達に「親がいない」といじめられ、博士に親を作ってもらうがまたしてもいじめられる、ロボットの親もあくまで「人間には逆らわないこと」を教えてくる」話や、自身がロボットであることに葛藤・苦悩する描写が多いらしい。

『鉄腕アトム』は1950年初期から1960年代の終わりまで連載されているので、きっと少年時代のおやしおも熱中していたのではないだろうか。アトムに自分を重ねていると良い。(人間の友達と己を対比するとか……人間の友達がいるのか知らないけど……)

 

『鉄腕アトム』は全巻セット(10000円)のものがAmazonで売ってるみたいなので、いつか欲しいです 。ただちょっと高い。kindleは300円ほどで一巻を買えるようなので検討してみます。

 

『ひとびとの精神史』を読みながら上記のことを考えていたのを、同書を読み返して思い出しました。逆を言えばすっかり忘れていた。やはりメモなりevernoteに資料をまとめるなりしなくてはならないのだと思いました。

「ぽい」「らしい」が記事に多すぎる。無責任をやめよう。