祈りにかえて

文章練習・雑記雑感・読書日記・調べもの進捗報告書/140文字以上用メモ

すずと哲の一夜の話を観るたびに嫌な時代だとなる

 映画「この世界の片隅に」の哲とすずのはなしがめちゃくちゃ好き…だったし今も好きです。

 ただそれは夜の陰翳が好きとか幼馴染の再会~!みたいな好きであって、とりわけ意味はなかった。ぶっちゃけ映画「この世界の片隅に」も漫画『この世界の片隅に』も、どこを切り取っても情景が素晴らしいしな……。

 

 ただ、なんですずが「うちは今あの人にハラがたって仕方ない」のかがよくわからないままでした。あの話の流れの中で「腹が立つ(怒りを感じる)」という言葉はどことなく不自然に思えて仕方なかった。

 

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作中で哲さんとすずさんが一晩過ごす場面があるのですが、深いところにはまる前にお互いに身を退くんです。でも、なぜ自分が身を退くのかがわからない、哲という人をどう理解したらいいんでしょう?って、アフレコ中に小野さんから質問されたことがありました。実はそこって、のんちゃんが「ここ私、すずさんの気持ちがよくわらないんです」って言った場所でもあったんです。

  わかんないよね。わかんないという感情がわかる。

 でも「この世界の片隅に」は、良くも悪くも戦時期の話だということを忘れがちなのでは?と思いました。すずさんは銃後の女で皇国の母、周作は軍属、哲は死ぬさだめの決まった軍人なんです。テルとリンは遊女だし……。

 

 

 何が言いたいのかというと、やっぱり下記のブログ群が示しているように、あの一晩は、死にゆく兵士に対しての慰安(①のブログさんが言うところの「最悪のイメージがついてしまっている言葉だがこう形容するしかない」でもある)の面もあったのかな…と私も思いました。もちろん双方想いあってる?という前提もありますが…。

 あの時代の兵士にとって「普通」のことだったから哲は誘ったけど、すずはあの時代の女性(リンやテルたちが最たるもの)にとっては「普通」の務めだった兵士への慰安(銃後の女としての義務)より自分の気持ちを優先してそれを退けた。哲は、そういった関係(兵士と銃後の女ではなく、幼馴染の男と女)が保てていたのがとても嬉しかったんじゃないのかな……という。

 哲の言う「普通でおってくれ」の「普通」はあの時代の、「戦争中の普通」ではなく、人が平穏な営みをするなかで行うであろう健全な「普通」の関係を指しているのかな、と。

 

 「リンさんにかなわない」は恋愛的なものではなく、銃後の女としての覚悟もあるのでは?という②の指摘は私も同様のことを感じました。(テルとの邂逅の話では、立ち去る時にリンがいるであろう二葉館の二階を見て、一階のテルを見た後に哲を思い出して「かなわない」と言っていることに私も気づいた。奉仕している遊女と奉仕対象である兵士を思い出しているのでは。)

①料亭跡 2017029「この世界の片隅に」ttps://cappella.exblog.jp/23581956/

②料亭跡 20170303「この世界の片隅に 5」 ttps://cappella.exblog.jp/23689710/

③空白雑記 20161120 「この世界の片隅にとセックス」 ttp://kuuhaku2.hatenablog.com/entry/2016/11/20/190512 *1

  そう思って作品を見返したら確かに腹が立つなコレ。遊女と兵士が「手をくくって川に飛び込む行為」と一緒のことを軍属の夫が妻に求めているのではと思いました。うまく考えが書けないので散文で終わり!!!!!

*1:検索除けをしているオタクサイトからの足跡がついたらあちらがお嫌だろうなと思うので直リンはしません。勝手に引用してスミマセン…